波静かな長浦湾を望む窓から、「イルカ」の背鰭を見た校舎。国鉄田浦駅から長浦湾を渡し船で登校した日。京急の駅から電機メーカー工場脇の掘に沿って小高い丘の裾を巡ると、丘上の市立中校の「悪ガキ」が毎朝大量の石礫を降らせた岸壁の道に出る。岸壁に沿ってU路形に歩いて校舎につく。国語、数学、理科、社会等の授業。先生方全てに「あだ名」をつけ、今でも鮮明にお姿と「あだ名」が結びつく。
岸壁からの堤防で放課後の「ボラ」釣り。校舎下岸壁の水中観測所跡で熱帯魚もどきの色鮮やかな小魚の観察。岬を回って裏側の「ムジナ湾」には古代人の住居跡の石窟。敷地内にある修道院の修道士の葬式踊り「チュンバイバイ」に世界を垣間見た。
駐日大使の手記を読んで、本館にいたドイツ人の校長等とは国籍の違うエイレンボス先生が校舎にいたのを、一人合点した。潜水艦の二次電池工場を改装した講堂で、小山内薫の「息子」の捕り手で舞台に立ったのが懐かしい。
名倉 忠昭 (2期)