「田浦時代」の思い出に忘れられないのが吉川洸先生である。
吉川先生は2期生が入学した1948年に2期生の数学の教師として来られ飾らない明るい人柄と素敵な笑顔と歌が大好きな先生として2期生の間で人気がった。しかし僅か2年間で栄光を去られてイエズス会に入会、神父の道に進まれた。1956年米国に留学、修士号を取得され1959年神父になり、神戸の六甲学院で31年間物理を教えられた。栄光時代の僅か2年間、先生方のアパートに住まわれたが、ある日その窓に干し大根が数本下がっているのを見た生徒から「干し大根」という渾名をつけられて以来「干し大根」と呼ばれて先生もその渾名にまんざらでなかったようだ。1期2期合わせて180名の全校生徒はお互いに仲良く遊んだものであった。添付写真は吉川先生の音頭で応援する一幕。お気づきのように戦後間もないころで制服ではなく、また校章は最初は「中」の字をデザイン化したもので、その後「雲の上に輝く星(光)を求めた」現在の校章になったがその原案は吉川先生の考案と聞いている。
先生の祖父が初代運輸大臣と聞いているが、東京紀尾井町で1922年(大正11年)名門の家に生まれ、一高・東大に進まれ生涯を栄光・六甲で若者の教育に専心されて2011年(平成23年)4月88歳で逝去。僅か2年の栄光での教師生活であったが発足間もない栄光に残され功績は大きい。先生は大学受験生を念頭に2002年『物理が良くわかる』(六甲出版販売、1500円+税)を執筆され、私も購入してみたが、私には全く理解できなかった。
東海林 修 (2期)