体操部は小型マット1枚で中学の校庭に持ち出して前転や開脚などやった。高校からは体育館があり、米海軍からもらった大型マットを使えるようになったが、その下はコンクリートの床だった。高校の初めの頃の器具はマットしかなく、マットワークが主体だった。
体育館の鉄棒は使えないパイプ製だったが、私たちが卒業した時には鞍馬が入っていたし、リングと平行棒があったが、平行棒は片方が曲がってしまい非平行棒になっていた。鉄棒はしなる鉄棒がはいり、体育館裏の屋外にセットしてオヤジが大回転を見せてくれた。初めて大技を目にしたので、これは忘れられない。リングや平行棒の倒立も、鉄棒の外回転もできないまま卒業したので、卒業アルバムには平行棒の倒立は前振りしか撮れなかった。
体操部はマットワークで始まった5年だった。体操の技をテレビで見ることもない時代だったし、器具を使った演技は自分では出来なかったが、体を動かすことが楽しいことを覚え、運動が好きな思いが残った。
《追記》公私にわたる体操部の親睦会は長年参加した。先生が80歳近くまでOBたちと一緒にスキーを楽しみ、葬儀に展示された軍服は思い出に強く残り、やさしい熊野先生の体操部の締めくくりになった。
八木 隆明 (2期)