ホーム活動報告・会報記事支部等活動山岳部OBが約50年前の小冊子「丹沢の自然破壊」を寄贈

支部等活動山岳部OBが約50年前の小冊子「丹沢の自然破壊」を寄贈

栄光学園創立25周年の1972年(昭和47年)の栄光学園祭において、22期の山岳部員が「丹沢の自然破壊」と題する展示・発表を行いました。その内容を山岳部OB会がまとめた小冊子が、半世紀ぶりに山岳部OBの実家で見つかりました。当時関係者に配布した残りを保管していたものでした。半世紀前の丹沢を取り巻く状況を記した貴重な資料であり、当時の山岳部員の丹沢への情熱を伝える証しであることから学園に寄贈し、柳下修校長にお願いして学園のアーカイブ室や丹沢・札掛の山小屋(栄光ヒュッテ)に置かせて頂くことになりました。(図書室には既に収蔵されていました)
展示・発表を行った昭和40年代は、高度経済成長を背景に全国的に進んだ自然破壊が危惧されていました。丹沢でも林道建設による土砂崩れや皆伐による森林破壊、登山者の増加によるゴミの廃棄、登山道の荒廃、ロープーウエイ計画(戸沢出合から塔の岳直下の花立までを結ぶ計画だったが72年に中止)など自然が危機的な状況にありました。山岳部の部長の天狗さん(故ヨハネス・シュトルテ神父)は小冊子の冒頭で、「丹沢に開発、観光、レジャーの高波が押し寄せて、山とそこにある素晴らしい自然を破壊しつつあります。····丹沢の動植物も人間の迫害から逃げまわっていて、生活の場が狭くなり、自然破壊がこのまま続くと、その滅亡もそう遠くありません」と記しています。
展示は22期の山岳部員が現地を歩き、写真を撮影し、平塚営林署や神奈川県農政部など関係者に取材した結果をまとめたものです。「私たち山岳部は、丹沢の美しい自然が壊されていく事を非常に残念に思う。····みなさんに自然保護に対する認識を深めていただこうと思い、この部展を計画した」と序文にその思いを綴っています。現在の丹沢の状況を見ると、幸いなことに当時危惧された状況は関係者の努力により回避されたように思われますが、自然保護を熱く伝えようとした当時の山岳部員の思いを感じるためにも学園や山小屋に立ち寄られた際は、ご高覧下さい。
栄光学園と丹沢の関わりは、創立翌年の1948年(昭和23年)に当時34歳の天狗さんが中学2年の1期生24人を丹沢に連れて行き、中村芳男牧師が戦災孤児や引揚者のために開設した「丹沢ホーム」で8日間の合宿を行ったのが始まりです。これ以降、丹沢ホームや河原に張ったテントをベースに、毎年キャンプ生活や山登りをすることになりました。学園創立10周年の1957年(昭和32年)年には、丹沢ホームの中村芳男氏の応援と先生・生徒の献身的な協力を得て、札掛のテント場を見下ろす高台に山小屋を建設しました。以降、大自然を教師とする心と体の鍛錬の場として活用されています。
山岳部は、学園創立3年後の1950年(昭和25年)9月9日、横須賀の栄光学園構内の気象台跡で天狗さんと当時高校1年だった1期生有志によって始まりました。そして、1975年(昭和50年)3月25日、天狗さんと24期生の南アルプス仙丈岳登山で解散するまでの四半世紀にわたり、丹沢、秩父、八ヶ岳、北・南・中央アルプスなどの峰々に一度の遭難事故もなく400回以上の山行を重ねました。

中川 聡 (24期)