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寄稿・投稿旧大船校舎への思い出つらつら

新校舎が竣工されると聞いて、私達の中で青天の霹靂といいますか、時代の流れを感じています。名門栄光学園の基礎を作られた大先輩方にとって、<旧校舎>とは田浦校舎のことでしょうが、私達にとっての<母校>は、大船の、古い、それは古い校舎でした。各期の先輩方に負けず、私達54期の旧校舎への想いは、強いです。しかし耐震などの問題もありますし、時代の流れでありましょう。伝統は守りつつ、改めるべきは改め、これからも日本最高の教育を施していただければ、と思っています。
思い起こせば、剥がれかけのタイル、冷房なし。あるのはただ、教室、雄大なグラウンド、先生、そして生徒のみでした。旧校舎の空気を吸いながら受けた恩師の先生方の授業は、どれも印象深いですが、もっとも印象に残っている授業は、中1の倫理でしょうか。
私は、多くの栄光生と同様、地元の公立小学校出身ですが、そこで人の道を解く授業は「道徳」と呼ばれていました。しかし、関根悦雄校長は、「栄光学園では、道徳ではなく、<倫理>を教えます」と仰いました。そして、かの有名なマタイによる福音書25章の<タラントンのたとえ>の講義へとつながったのです。「ああ、僕は日本最高の中学校に進学したのだな」と、中学1年生当時の私は、感慨に耽ったものでした。
また、倫理といえば、久我先生の授業も懐かしいです。先生の出された最初の宿題は、<所与>という語彙を、辞書で調べよ、というものでした。結局、そのシンプルな(そして本質的な)宿題をこなしてきたのはクラスで私一人。久我先生に褒めていただいたのを覚えています。私は一度目の大学時代に、神を呪うような挫折を経験し、ニーチェに傾倒した時期がありましたが、ニーチェの神に対する<完全なる敗北>を悟らせてくれたのは、その久我先生の授業の記憶でした。天才が、天から与った才能を用いて、神に挑んでも、敗北するのは、自明でした。私は栄光の<倫理>に救われたことになります。
ところで、中間体操も懐かしいです。1限と2限の間、野球部顧問、日本史教師の壱岐太先生に叱咤されながら、「寒みい~!」などと叫びながら、グラウンドに出、いざ体を動かしてみると、その気持ち良さに気づき、フレッシュな頭でその後の授業に臨むことができました。大先輩・養老孟司先生の御著作の内容とも重複いたしますが、勉強を<身体化>することの大切さを、私達54期は、旧校舎から学んだと思っています。
昔から、大学進学実績がどうの、神奈川御三家がどうの、と雑誌等でよく取り上げられますが、私達は進学校であると同時に<神学校>でもあるのですから、悠然と、焦らず、受験という土俵には片足を突っ込む程度で、伝家の宝刀である一本筋の通った教育を、可愛い後輩達に施して下されば、と願っております。
私事で、栄光からは若干離れますが、同じミッション系で、ラ・サール高校出身の父の言葉を思い出します。
「子供は、遊ばせよ。遊ぶように、のびのびと、勉強させよ。」

新校舎でも、のびのびと、遊ぶように、勉強して欲しいと、後輩たちには願っています。

三橋 敏順 (54期)