ホーム活動報告・会報記事寄稿・投稿景泰古城・黄河石林 − 蘭州近況(2016年6月)

寄稿・投稿景泰古城・黄河石林 − 蘭州近況(2016年6月)

2016年春学期

早いもので今学期も無事終了しました。4年生は6月末に卒業していきました。3年生はまだ期末試験の最中ですが、7月の半ばに楡中から蘭州のキャンパスへ引っ越していきます。蘭州大学では4年生が蘭州キャンパスで、1年生から3年生までは楡中キャンパスで学びます。学生たちに田舎のキャンパスから都会のキャンパスへ移るので楽しいだろうと水を向けると、多くの学生が移りたくないと答えてきます。いくら都会生活の刺激があっても、学生寮が古くて狭く、空気も悪いので、楡中の方がよいそうです。

こちらも昨日で採点が終わり、今期の仕事は完了です。今期は高校時代の友人が蘭州へたずねてくれるので、一緒に付近を旅行してから帰京する予定です。

景泰古城の正門

古城の大門

甘粛省の旅行雑誌を見ていると古城の写真が載っていました。調べてみると蘭州の中川飛行場の近くの景泰県にあることが分かりました。少し前の話になりますが、5月の初旬に同僚のN先生と学生たちと行ってきました。蘭州から景泰県までバスで2時間ほどでした。古城はそこからバスで30分のほどのところにありますが、一日数本しかバス便がないため、タクシーと交渉して100元で行ってもらいました。

古城は河西回廊の起点となる烏鞘嶺の長く延びた山裾にありました。17世紀の初め明の軍事基地として造られ、その頃には2,000名近くの兵士が駐屯していたようですが、現在では十数家族の農民が生活しているだけのようです。まだ観光地化されておらず、入場料も取られずに城内に入ることができました。城内を取り巻く城壁は煉瓦で補強もされず、付近の土をもりあげたままの土塀でした。高さは12m、古城を囲む土塀の周囲は1.7kmだそうです。

古城全景 西側

城内の村落

古城の農家の羊たち

古城全景 東側

城内の小学校

場外から見た正門

古城の中を歩いてみましたが、明の時代の軍事基地の面影はさすがにありません。城の中央には仏教と道教の寺院跡とりっぱな小学校の跡が残っていました。数十年前は何百家族が暮らす大きな村だったのでしょうが、現在ではわずかな戸数しか残っていないようです。昔の朽ち果てた手つかずの城内を歩くと、西方や北方民族への前線基地だった往時の様子がうかがえるようで、楽しめました。

黄河石林に遊ぶ

古城のある景泰県の東側、黄河が流れる河川沿いに黄河石林という観光名所があります。黄河の浸食で黄土が変形し、奇岩怪石が林立しているところです。これまで行く機会がありませんでしたが、同じ景泰県にあるので、翌日出かけてみました。

黄河を羊の筏で下る

石林の入り口

前方の岩の間が石林の入り口

ロバの馬車でのんびり歩む

黄河石林の観光地の入り口は黄土高原の丘陵の上にありました。ここから入場料を払って、観光地の専用車に乗り換えて、石林まで下ります。観光車に乗ると、石林のはるか上流の黄河の河岸で降ろされました。何とそこは黄河筏の埠頭で、そこから筏に乗って石林へ向かうそうです。仕方なく筏代30元を払って、黄河筏に乗りました。筏は羊の腸を膨らませた浮き輪を数個つないだもので船頭を含めて四、五人ほどが乗れる小さなものです。のんびりと20分ほど黄河を下って石林の入口へ向かいました。

石林の入り口ではロバの馬車がたくさん観光客を待っていました。どこまで行くのか分からなかったので、ロバには乗らずに歩き始めました。周囲の奇岩をながめながら渓谷を歩くことになります。しばらく歩くと瓦礫の上を歩いたので疲れてきました。すると道の隅でバギー・カーの貸し出しをしていましたので、これを借りてバギーで走りました。1、2km進むとロープウェイ乗り場に着きました。ロープウェイで奇岩の上に登り、周囲の景観を楽しもうという趣向です。頂上からはするどくとがった岩山が何層にも辺りを取り巻いていて、まるで岩盤の砂漠でした。中国では石林という観光地がよくあります。昆明の石林ではサボテンのような奇石の林でしたが、黄河石林は岩山の石林でした。

黄河石林の谷間を歩く

岩山の頂上からの景観

黄河石林の谷間を歩く

岩山が何層も続く

大川 豊 (14期)