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寄稿・投稿還暦過ぎて落語家にチャレンジ

60歳でサラリーマンを辞めちまって、落語家としての生活に踏み出しました。馬鹿ですねぇ。
もっとも、栄光在学中からNHK「のど自慢」に出るは、「あいさつ振興委員会」なるもので読売新聞に出るはなんてことをしていたからねぇ、同期連中は「やっぱり」という感じであまり違和感ないみたいすけどね。
そもそもは54歳でバンコク単身赴任して、ゴルフをやらないもんで暇でねぇ、ひょんなことで日本人劇団に入ったのがマチガイ。目立ちたがりの虫が疼いちゃってね。でも57歳で帰国後、週末潰して劇なんてやってた日にゃカミさんから三行半さね。それで何か一人で稽古できるものと探して、落語教室なんてのに通い始めてね。初高座の発表会で必死にやったら、お客様が笑って帰って下すってねぇ。こりゃ、自分も楽しいし、他人(ひと)様(さま)も幸せになって頂けて、とてもいいやとハマっちまいましてね。仕事より一生懸命になっちまって、ええい辞めちまえと。
落語に専念して1年目は高座数122回、昨年は247回!いまどきこんな急成長事業ある?(笑)。ネタ数は100題を超えたんすよ。で、自分(てめえ)らしさを出そうと、地域落語や企業落語を創り、神奈川県の「マグカルナイト」でレギュラーとして英語落語をやり、バンコクで初の海外口演を実現し、なんて、いろいろなことをやってみてるんすよ。
収入は激減さね。住民税1/100になって驚いちまいましたよ。でもね、好きなことができて、他人様(ひとさま)喜ばして、こんな楽しいことはないよね。
若い時から本職になっておけばよかったねとよく言われるけどね、あっしは60歳過ぎてからでよかったと思ってますよ。落語家修業はマイペースのあっしには耐えられないし、高座の依頼やマーケティング手法はサラリーマン時代の人脈や経験に随分助けられていますからね。
で、ある夕飯時にイワシ食いながら、ふと、「企業の歴史の落語とか創れるんじゃねえか」と思い付いちゃってね。今まで4社やらせて頂いたんだけど、みんな泣いて大喜びしてくれてねぇ。良かったと思いますよ。
それだったら、なんでも物語があれば落語にできるなと。馴初めだ、故人の一周忌だ、地域の歴史だ、聖書落語(栄光のときは公教要理に一度も出なかったけど今やクリスチャン)だと、いろいろ創ると喜んでいただけるんですよ。ありがたいねぇ。
そしたら、今度はコロナ騒ぎでしょ。高座が何十件もキャンセルになってね。でも凹んでいてもしょうがないからオンライン落語始めたら、インドだメキシコだって海外の日本人が観てくれてね。そうか、ネットは距離を克服するなとあらためて気付いちまいましたよ。それで7月にはアフリカはギニアの邦人向けにオンライン落語をやって差し上げたら喜んでねぇ。これからも日本文化の少ない国にいる邦人に落語を提供できたらいいなと思ってますよ。こんな風に、どんな環境でもできることにチャレンジするって楽しいよね。
人生100年時代とかで先の長い時代になってさ、こうして他人様(ひとさま)に笑っていただいて、少しでも幸せになってもらいながら、あっし自身も、活き活きとやりがいを感じて生きていけたら幸せだよね。
みなさんもね、いくつになっても新しいことをお始めになったらいいすよ。残りの人生で「今のあなたが、一番若い」んだからねぇ。

HP:https://yusuke0816.jimdo.com/

豆生田 信一(参遊亭遊助) (24期)

バンコク口演の様子

レギュラー出演する県イベント「マグカルナイト」で