寄稿・投稿栄光ヒュッテを訪ねて

学園にかつて存在した山岳部(1950~75年・1~24期生)。OB14人が5月29日、栄光ヒュッテを訪ねた。好天だったが、10人はマイカーなどに分乗、歩きの4人もヤビツまではバス利用、かつての「山男」の面影はない。5期から22期生までの一行、その平均年齢は76,4歳、後期高齢者が11人を占めたのだから・・・。

ヒュッテの頑丈な扉を開けたのは午前10時半。ストーブを置いたダイニングスペースは、清掃も行き届き、奥の左右の板張りの広間には新たに天窓が設けられて、思いのほか明るいのが印象的だった。早速、左手の6畳二間の窓を開け放つと、奥の壁中央にありましたよ。天狗さん(ハンス・シュトルテ神父・2007年帰天)がにこやかに笑うパネル写真が。囲むように、愛用のピッケルや編み笠など思い出の品々も。 

今回のヒュッテ行、学園のアーカイブズ企画の一環として、学園と山小屋に収蔵・展示した天狗さんの遺品と山岳部のモニュメントを、「この目で見たい」というのが発端。遺品の品々は“健在”だったが、「山の男の十の掟」を刻んだ白樺の原版は表面が欠け落ち、残念ながら使命全うだった。

岩崎孝之OB会長(10期)の発声で「十の掟」を唱え、山岳部歌を斉唱したが、続く懇親では、小屋の将来を心配する声しきり。「頑丈な造り。いつまでも、あって欲しいが・・」

そもそもヒュッテの成り立ちは、天狗さんが山岳部を創設した1950年、タライゴヤ沢でテント合宿を始めたのが起源。一般生も混じえ夏の恒例行事となったが、「通年使える小屋が欲しい」の一念から、開校10周年記念事業として1957年7月に落成した。建設作業には、5~10期生有志が週末ごとに通い、地ならし、セメント・木材運びに汗を流した。「草や岩の斜面をツルハシやスコップで削り取り、その土くれを“パイスケ”に乗せて沢側に運び、徐々に土地を広げていった」(8期・仲村邦弘)という。

後に続く山岳部員にとっても、ヒュッテは聖地だが、意外にも卒業後に小屋を利用した人は殆どいない。ハイキングやドライブの途中に立ち寄っても、周囲をぶらぶら歩く程度。学園への連絡、鍵の借り出しなどを考えると、どうにも敷居が高いのだ。

さておき、昼食は丹沢ホームでの鴨焼きと川魚。「来年も来たい」「身体が動くうちは何歳までも」の声が出て、最後は輪になって「涸沢の朝夕」の合唱も。そして許されるなら「泊まって、ゆっくり炊事、珈琲を楽しみたい」(9期・田中實)、「物見峠から入って、塔が岳を目指したい」(16期・梅田純)など、ヒュッテへの期待と夢が、後に多く寄せられた。
せせらぎを聞きながら読書 森林浴やマイナスイオン浴 バードウォチング 野生動物の足跡探索 昆虫や植物の観察 ルアー釣り 植栽や間伐のお手伝い 焚き火 四季の写真撮影 静寂に浸る・・・などなど。

今や1万2千人と言われる学園の現役・OB。先達が立ち上げたヒュッテが、大自然の中に佇む貴重な資産として、永久にあり続けて欲しい。そんな思いを新たにした一日だった。

11期生 田中 泉