28年も同期会を開催していない期は他にあるだろうか。「このままではマズイ」と言いだしっぺとなった島崎裕之は同窓会常任委員で『活動サポート部長』。活動が停滞している期の活性化が主な役割でもある。今回の同期会開催に向けて情熱とパワーを発揮、下田 陽、吉田直人、呉東正彦、武藤 豊といったブレーンとともにに企画した。
同窓生らは短い正月休みのスケジュール調整に苦心しながらも、開催日当日まで参加者は毎日のように増え、同窓生68名、恩師9名、総勢77名もの参加となった。「お前、誰だっけ」「○○だろ?久しぶり!」受付前から握手、ハグする連中も多く、開宴前から大騒ぎの様相。また50代後半という年齢の期で、出席される恩師が9名にもなることは極めて異例である。同窓生と同様、恩師の皆様も非常に喜んでおられたに違いない。以降、同期会について報告いたしたい。
新卒で赴任され、初めての授業が当時高2の26期。だから出来るならば、「来たくない」同窓会だったとか。本当にお若く頼りなさ気で、白衣がダブダブしていたのを覚えている。
開会の挨拶は金子好光前校長(化学)
白髪以外は変わりなし!日体大出身で、山の家での余興「えっさっさ〜!」の力強さは未だに忘れ難い。柔道の時間にみんなからインサイドキックを受けて、後でくるぶしが腫れ上がっていたとか。今でも週1回、高1の選択授業で『スローフード』を教え、陸上部の指導もされている。
乾杯は迫 嘉邦先生(体育)
中1Bの時の組主任、授業時に草野球をして遊んでくれた。その時の思い出を同窓会ニュースに綴ってしまった。通称、オギブン。スペインのアンダルシアが好きだった。「この中で独身の奴はいるかぁ?ダーメだよ、今からでもちゃんと結婚しなきゃ!」10年ほど前、愛妻に先立たれ、相槌を打ってくれる人間がいなくなった悲しさを、正直に述べて下さり、相変わらずの感を強くした。
荻野文悟先生(英語)
89歳の最年長。杖をついておられたが非常にお元気。高2の時の担任で、後に横浜高校にも非常勤講師でお勤めになられ、武藤 豊と同僚になる。
稲田順一先生(物理)
高1〜高3の担任。後に清泉女子大で教鞭を執る。今日は、歴史家としての思いを熱く語っていた。金子省治先生亡きあと校史編纂、栄光カトリックの会等で今も学園に関わり、カトリック雪の下教会の教会委員長も務めておられる。
梅津尚志先生(社会)
落研出身であり、この日も荻野先生と自分が英語担当で申し訳なかったと笑わせた。ブラバンの顧問もしていたが、みなとみらいホールでの記念演奏会で「僕が顧問として一生懸命やっていたら、おそらくみんなの迷惑になっていた」と、正直に「何もしなかった」ことを正当化して笑わせていたことも思い出す。
石川吉紀先生(英語)
中学生の頃、書道を習った。当時の印象は「渋い」以外の何者でもなかったが、今夜もやはり「渋い」のであった。
稲田千秋先生(国語)
卓球部の顧問であり、中1のとき幾何や統計を教わった。後に横浜高校へ非常勤講師として勤務され、稲田順一先生に続き、武藤の同僚となる。独身のお嬢様がいらっしゃり、この日の独身の面子に紹介していた。
林 恵津雄先生(数学)
非常勤講師として2年間、フォス校長に呼ばれて勤務したことを懐かしそうに話された。早稲田のドクター時に、我々は教わったようだ。その後、研究者として世界を駆け回り、現在東海大学名誉教授。「石油の次はナトリウムがエネルギーになる」と豪語するノーベル賞候補?
村原正隆先生(化学)
息子が現役栄光生、父親のための聖書研究会幹事、同窓会常任委員も務め、母校には月2~4回足を運ぶ。羽織っているのは、息子の野球部の応援Tシャツ。他の学年との差異も、彼を今回の同期会に駆り立てた要因らしい。現役時はバドミントン部。
島崎裕之 幹事団団長、熱き思いの挨拶♪
飲み食いもままならぬ仕事を引き受けていただき、ただ感謝!
総合司会進行の下田 陽と受付・会計の吉田直人
今年はOBゼミの担当学年である26期。「オレに講師やらせろヨ」という声が相次いだのはとても嬉しい限りだ。二次会も22名もの参加があり、総会ではなかなかじっくり話せなかった話題で盛り上がる。「お前やっぱり変わってないな」「お前は現役のころそんなにしゃべったっけ?」童心に戻り、また歳をとった現実にもなり、宴はますます盛り上がる。
締めの挨拶で島崎は感涙にむせぶ。今回の開催は26期の新たな船出である。長い間離れていたけど、また、僕らは出会った。そのことが何より愛おしい。見かけが変わっていても、そうでなくとも、やはり、僕らは同級生なんだな
島崎裕之、武藤 豊(26期)
(写真) 武藤 豊、松本直樹、長谷川 宏