この三月に大船の旧校舎から巣立った最後の期は64期。私たち4期生が学んだのは田浦の校舎、卒業したのは1956年、経済白書が「もはや戦後ではない」と記述した年、60年前でした。その後の世代を10年ずつ区切っても早や6世代、栄光の同窓会も《期》を重ねたものです。親や子が、兄や弟が、ことによると祖父や孫が、共に《栄光出だ》というご家族も少なくないようです。しかし、傘寿を越えた1~4期生あたりでも、まだ半数以上がご存命です。栄光学園同窓会はまだ発展段階、ご同慶のいたりです。そうそう、栄光の教壇では、碇井先生や梅津先生が4期生です。
そんな四期生が今年も同期会を開きました。卒業以来三十数回目です。2回目だったか、湘南白百合学園の同い年の同期会と共催、会場はあの逗子なぎさホテル、四期生は全員大学生でした。そして半世紀、21世紀に入ってからは毎年開いています。毎年のプログラムはほぼワンパターン、黙祷と乾杯⇒飲食しながらの賑やかな歓談⇒数人の近況スピーチ⇒校歌斉唱です。おそらくいずれの《期》でも似たり寄ったり大同小異でしょう。とはいえ、節目の年では特別企画も加味してきました。例えば、養老孟司君の講演『栄光のカベ』を入れたり、長浦湾クルーズで田浦の母校跡を望んだり、夫人同伴可にしたり、四期ホームページ連載の60余名の『リレー随想』を冊子にしたり、想い出写真集DVDを配布したり、等々を愉しみました。もっとも、企画する毎年の同期会幹事陣は固定的でなく、地域別/出身小学校別/中一時のクラス別などで、これまで数年ずつ年ごとの持ち回りにしてきています。
さて、今年の同期会は出席31人。10月11日、今年もNYから駆付けた篠崎晃君が「トランプ予想」を加えながらの司会役、スピーチは在仙台の渡辺誠樹君の卒業以来初出席の弁、四期生が教わった先生として最後のお別れになった熊野先生を高嶋邦安君が追悼、などなどでした。斉唱は学園正門の表札を揮毫した深澤画伯が指揮。会場はホテル横浜ガーデン、二次会はちょっと歩いて中華街口のバー・ケーブルカー。同期生間の話題は、先ずはやはり「健康(病気)」が多いですが、今年は学園がらみも多く、「新校舎(寄付)」「神父さんでない校長」「加藤陽子セミナー」などが洩れ聞こえていました。
四期同期会(現在109人)には年会費も会長も会則もありませんが、会計としては任意拠金のFUNDを擁して、慶弔や同期会関連費用を賄ってきています。年を追って増える訃報は四期連絡網で全員に流し、霊前に「四期生一同」の名で供花してきています。慶事としては、飯野雅彦神父の叙階金寿を祝ったりしました。
と、こんな風な四期の同期会報告ですが、ホームページの『同期会報告』や『同窓会名簿』を見て、上記10年置きのほとんどの《期》が、新卒の64期生はともかく、この数年まったく同期会を開いていないことや、住所や勤務先情報が載っていない会員がすごく多いことに、かなりびっくりしました。「それどころじゃない」のか「そんな時代じゃない」のか「同期/同窓の意味が違っちゃった」のか「やりたがる奴がいない」のか「《栄光らしさ》のせい」なのかは判りません。そんなことをひととき見つめてみるためにも、同期会のひとつも開いてみてはいかがでしょう。この報告が参考か刺激にでもなれば、《同窓老爺連》として、存外の喜びです。
鈴木 宙明 (4期)