平成28年10月29日(土)12期同期会が、卒業50周年の会から2年ぶりに、いつものホテルキャメロットジャパン(横浜)で62人が参加して開かれた。
早々と会場入りした者もおり、開宴15分前には9割以上が出席。待ちきれず、Welcomeドリンクが始まっていた。
早々と会場入りした者もおり、開宴15分前には9割以上が出席。待ちきれず、Welcomeドリンクが始まっていた。
定刻16時、佐藤孜代表幹事の発声で亡くなった同期生及び先生に黙祷を捧げ、佐竹信一幹事の乾杯の音頭で会が始まった。
6月に12期ゴルフ会(24人参加)もあり、また各所属クラブのOB会等で度々会っていても、やはり同期会の集いは格別で、話の輪が幾つも出来ていた。
前回より大分豪華な料理とお酒を頂いて落ち着いたところで、近況報告。
竹村公太郎君は仕事で河川を相手にしていたが、今では「河川からひも解く日本史」的な本を何冊も書いており、今回また新しい本を出したそうだ。
新郷康君は製薬会社営業一筋で、色々苦労も有ったようだが、台湾に赴任した時は、叔父など身内の縁もあり、楽しく仕事ができたそう。台湾ならいつでも案内してくれると言っていた。
塩谷英策君は2年ほど前、血液の癌「悪性リンパ腫」と宣告され、抗がん剤等の治療で大変苦しんでいた。幸い本年はじめに寛解との診断が出て、急に元気が出てきたそう。今は、70の手習いでゴルフを元気に楽しんでいる。
高岡力君は三菱重工でのロケットや飛行機の商売の話、また今話題のMRJの話を面白く話してくれた。
藤江正克君は日立の研究所勤務の後、母校早稲田に戻り教授として後進の指導をしているそうだ。
以上の5名は、なんと代表幹事の佐藤眼科の患者。白内障他の治療に通った患者仲間である。(白内障は病気とは言わないか。)皆さん百選練磨の強者で、スピーチが上手いのに驚いた。
次は仕事の都合で遅れて参加した、われらの桂勲君。現在、国立遺伝学研究所(静岡県三島市)の所長を務めており、2013年4月からは情報・システム研究機構理事も兼ねている。
以下桂君の話の要約。
ノーベル賞を受賞した大隅良典東京工大栄誉教授とは、東大の助教授時代、同じ部屋で研究をしており、今回の彼の受賞で当時のことについてインタビューを受けた。また新たに生命科学部を立ち上げた東京農業大学の受験生向けパンフレットで生命科学の楽しさを話した。写真も載ったので恥ずかしかった。(笑)
2年前の同期会の時はスタップ細胞の件は外野で気楽なことを言っていたが、8月になったら理研の人が来て、「調査委員長をやってくれませんか」と頼まれた。残っていたスタップ細胞のサンプルを調べてもらったところ、全部ES細胞であることが解った。
マウス個体からES細胞を作るとき、そのつどDNAの塩基配列が変わることが今回の調査でわかった。したがって、個々のES細胞株には、それぞれ特徴的な塩基配列の違いがある。「スタップ細胞」と言われていたサンプルが既存のES細胞株とわかったのは、その特徴的な塩基配列をもっていたからである。1サンプル、30億塩基(実際は2倍体なので60億塩基)のマウスDNA塩基配列は1週間程度で調べられる。費用は1回約100万円かかるので、理研は、「スタップ細胞」と言われていた試料が既存のES細胞であることを証明するのに約2000万円もの金を使った。これを税金の無駄と非難する人もいたが、科学的にきちんと真実を証明することが重要と思う。
この結果、誰かがスタップ細胞作成の実験中にES細胞と入れ替えたことが推察できるが、誰がいつ、ES細胞と入れ替えたのかは証明出来なかった。目撃者なし、物的証拠なしで、夜中は誰でも研究室に出入りできる状態だったことが解ったからである。
調査の結果、調査委員会から
と報告をした。
桂勲君がスタップ細胞騒動の顛末を身内向けに解りやすく話してくれて、会場は大いに盛り上がった。また、生命科学の進歩はすさまじく、とんでもないことまで解明されているのだとも感じた。
大盛況の同期会も〆の時間が近付き、常任コーラスリーダーの深澤茂行、小田兵馬両君の先導で「Eiko High Forever」と「千里の波濤」をフルコーラス歌い、楽しかった12期同期会は終わった。
健康が気になる年頃の12期は、次回を楽しみに自重して大人しく解散となったが、まだまだ話し足りない23名は同ホテルの2次会場に移り、またまた盛り上がった。仕事の都合で2次会だけしか参加できなかった残間淳君も1次会分まで楽しんでくれたようだ。
窪田 信之 (12期)