母校、栄光学園創立70周年の2017年に、大半が喜寿77歳を迎えた7期生恒例の同期会は、例年通り10月の第3土曜21日正午から横浜・中華街の老舗で開かれた。昼の開催は昨年からで、会場の萬珍樓は2013年以来同じ。
会創設の労をとってくれた恒久幹事長、及能茂道君によれば「この形で同期が最初に集うたのは昭和56年」とのことだから今年で37回を数える。
超大型の台風21号の前触れの雨が、出席を予定されていた稲田順一先生を足止めさせてしまったのは残念であったが、望月伸一郎校長にご参加いただいてこの日の出席は41人。
「6年前の卒業50周年に69人が集まって以来、出席者は年々減少して昨年は37人だったが、今年40人台に戻した」というのが、幹事の一人、齋藤肇君の報告。
いつもの通り、荻原佳紀君の司会で始まった会は冒頭に、この1年の間に鬼籍に入られた鈴木喜一、笠神潔、森田真の3君に黙祷を捧げ、原宏君の「日本人の死因の第3位は肺炎。その原因の7割を占める誤嚥に気をつけよう」とのアドバイスを伴った音頭で乾杯して開宴。
齋藤君によると、今年は葉書・メールで連絡の取れる120人に案内を出したところ「欠席」の返信があったのは58人。21人は音沙汰なしで、どうされているのか不明とのこと。欠席の返事の中には「体調すぐれず」というものもあったが、出席者は皆、及能君の言う「健康を財産としている」と見受けられた。
毎回20人前後が参加しているゴルフ会(今年は10月5日)の幹事、石川俊克君が「7期のゴルフ会は米寿まで続ける」と宣言していると紹介した及能君曰く「やがては、老人ホームで一緒に、暮らすかい(クラス会)」。
「初めての出席ではないかと思うくらい久しぶり」の松永徹平君は「変わり果て皆さん」と評したが、変わったのは「白くなったり、薄くなったり」のオツムの辺りくらい。5つのテーブルでそれぞれに美味を平らげ、美酒を酌み交わし、談論風発、久闊を叙するひと時を楽しんだ。
歓談の合間にスピーチに立ったのは、松永君の他に、同様に久しぶり参加の荒木健博君と小野寺法彦君。ゲストの望月校長は「きょうは寄付のお願いには触れません」と前置きして「皆さん喜寿おめでとうございます。7は聖書でも特別な数字」。そして、春に竣工した新校舎を紹介された。「我々の頃の田浦の校舎」思いを馳せた向きもあったのでは。
愉しい時間の流れは速く、2時間余りが経ったところで、いつものように金澤洋君の指揮で“懐かしい歌”の合唱。今年は田浦時代の校歌「千里の波濤」を熱唱した。若き血潮の~うずまきかへる~7つの海を~
遠い昔、紅顔の美少年?の頃を思い出してちょっぴり感傷に浸る間もなく、石川君の音頭で一本締め。「来年また元気で会おう」と声を掛けあって、お開きに。
奥田 斐規 (7期)