平成30(2018)年の同期会を「最終回として4月21日(土)14:00~ 」と案内をしたところ、45名が出席した盛大な同期会になりました。会場は10年間続けて服部和男くんのお世話による横浜銀行「横浜シティクラブ」。
5期同期会は当日現在の会員67名。昭和32年3月卒業生112名に卒業までに他校へ転校したなどの仲間の有志6名が加わって118名が母体になっていますが、この日までの逝去者44名、住所不明や連絡不要という者7名を欠いています。
開催日1週間前の出欠予定者は47名でしたが、3名がドクターストップで出席取りやめ、逆に精密検査の結果問題なしということで欠席予定を変更して出席した1名が加わって45名の同期会、出席率67%でした。紅一点は渡辺慎二くんの“お目付け役”のご息女。
和泉沢政人くんの開会挨拶に続いて、会長からの報告(天野)、乾杯(仙台からの出席の綱島不二雄くん)で懇親会になったのですが、今回は最終回ということであり、ここに至る経過の報告などが次のように天野会長から報告されました。
懇親会は、今回が最終回ということで懇談歓談に時間のすべてを充てることにしましたが、一つだけ特別の企画を盛り込みました。それは、1957年3月の卒業記念写真に写る顔顔顔のどれが誰なのかを同定しようという試みでした。元写真の提供者は河内十郎くん。何としても全員の名を写真に記入して、それを配りたい、というのです。ハガキ大の元写真をA3判に拡大コピーして皆に見てもらい、どれが誰だか判明したらコピーされた写真に名前を記入してもらいました。結果は、自分だけは60年以上前の写真を見て判るけれど、その他の人はよくは判らないとか言いながらも、110名以上写っている写真の全員の名が判明しました。卒業後最も早く他界したのは石橋勝宏君(1974年7月)ですが、45年も前の顔を覚えているというのは“さすが5期”と言えるのではないかと思います。
(5期生の最初の逝去者は小栗英一君ですが、卒業式一か月ほど前に急逝されました)
終了時刻が近づいたところで数人のスピーチをもらいました。初代5期会会長の青木盛久くん、二代目会長の高井貞夫くんは体調万全でなく欠席でしたがケイタイで呼び出して返ってきた声をマイクで流すという超絶技巧での声が会場に流されました。二人しか出席できなかったお医者さん、千葉康洋くんと里見佳昭くんは「自分が患者になっちゃった…」と言いながらスピーチ辞退。久しぶりに参加したNPOノアの伊藤輝男くんは「代表は後任に譲ったが、これからも変わらない支援をおねがいします」と挨拶。
最後は田中勝くんと三崎勝くん、二人の“勝くん”による“連指揮”で「千里の波濤」「Where Hillocks Shine 」「Pirates’ Song」「Eiko High Forever」を合唱、続いて今井佑一くん先唱のエール「フレーフレー5期!」、閉会挨拶:和泉沢政人くんの後、記念撮影をして、5期会懇親会の最終回を締めました。
「別の機会に会おうナ!」と言いながら会場を後にする級友に「元気でナ!」の声をかけての最終回を終えて、幹事一同ホッとしつつ、少し寂しい気持ちを味わったのでした。
天野 正 (5期)