2019年12月17日、IAEA(国際原子力機関)事務局長を2009年から務められ、2019年7月18日に在職中のまま逝去された故天野之弥氏を偲ぶ会が、帝国ホテルで開催されました。
安倍総理大臣が出席し、軍縮、核不拡散、原子力平和利用に関する故人の功績と貢献を高く評価するスピ-チを行われました。
外務省関係者(栄光25期の秋葉外務次官を含む)、約20名の国会議員、原子力関係者、学会・プレス関係者をはじめとする約300名が出席して、順次、遺影に献花。上記の安倍総理のスピ-チを拝聴した後、故人の一生を振り返る写真・動画の映写を見たり、立食懇親を行ったりしながら、故人を偲びました。
栄光14期は、10名が出席しました。うち8名が写った写真を以下に添付します。
14期以外の栄光出身の外務省OBが数名、栄光出身の外務省現役が上記の秋葉次官を含め数名、出席しました。
外務省関係者ではない栄光出身者については、栄光同窓会のHPを見て参加した方が居られたか不明です。
「故天野之弥IAEA事務局長を偲ぶ会」発起人一同様の案内文からの引用
天野氏は、1947年神奈川県湯河原町に生まれ、神奈川県の葉山町で育ちました。弟の万利氏とともに栄光学園に通い多くの友人を作りました。しかし、ご両親が早逝されたためご苦労されたとも伺っています。大学では英語会(ESS)で活躍、更には読売新聞社とともに全日本中学校英語弁論大会を共催する学生団体・日本学生協会基金のメンバーとして大会の準備などに奔走し、ここでも多くの友人を作りました。発起人の中にもそのOB・OGが複数含まれています。その後、外務省に入省、フランスで研修した後、軍縮・不拡散問題を手掛けて東京・ジュネーブなどで活躍し、ウィーンで日本代表部大使として国際原子力機関(IAEA)理事を務めました。2005年、IAEAがその活動に対してノーベル平和賞を受賞した際には、理事会議長として天野氏がオスロで授賞の栄に浴しました。そのような時、IAEA事務局長交替の選挙があり、日本から天野之弥氏が推挙されました。いつものごとく選挙は混迷し長期間苦労されましたが、2009年初めに見事当選を果たしました。この間の本人や関係者のご苦労は今でも語り草になっています。
(中略)
天野氏は、政策面でリーダーシップを遺憾なく発揮されるとともに、多くの各国職員にその人柄を愛されていました。これは、IAEAでの追悼式において多くの人が別れを惜しむスピーチの中で讃えるところでした。
忙しい仕事の合間を縫っての私生活でも天野氏の活動は多彩でした。若い頃から馬とヨットの愛好家で、休暇の際は、夫妻で乗馬を楽しんだり、アドリア海でヨットを走らせたりするような面もあったそうです。また、毎年ホフブルク宮殿で開催されるIAEAのバル(伝統的舞踏会)では、学生時代に習得したワルツの華麗なステップを着物姿の夫人とともに披露し、参加者一同を驚かせました。
風を一杯に受けた順風満帆の人生でしたが、天野氏は、私たちの前を颯爽と、しかし余りにも早く通り過ぎてしまいました。ご冥福をお祈り申し上げます。
桂 誠 (14期)
写真:新井 隆 (14期)