ホーム活動報告・会報記事各期活動12期 廣川 信隆さんが文化勲章

各期活動12期 廣川 信隆さんが文化勲章

廣川信隆さんの文化勲章受章

12期 佐藤 孜

廣川さんが文化勲章を受章されました。誠に輝かしく,誇り高く嬉しいことです。彼の業績については既に広く多くの所で紹介されているので、そちらにお任せすることとしてここでは、彼の人となり性格を紹介したいと思います。
彼を一言で表現するなら、兎も角、謙虚であり真面目で、目立たない、他人を裏切ることのない人間だと思います。欠点を探すのは難しいと思います。
彼とは栄光時代中学1年から同級でした。田浦にあった学園に横須賀学院小から進学されました。当時横須賀で盛んであったらしい「南京テニス」という遊びに興じました。陸上部に所属されて身体を鍛え、東京大学に見事に合格、進学されました。医学科に進学された後、徐々に頭角を現し始めます。(広報部註:EACONには栄光学園で陸上部/物理部所属とあります)
教科の中では、解剖学、特に組織器官を顕微鏡で見る組織学に興味を持たれたとのこと。細胞の美しく並んだ配列、繊毛の生え方にも眼をひかれたとのこと。これらは現在の分子生物学の下地となっているのでしょう。
大学では山岳部に所属されました。これには栄光時代の天狗さん、丹沢の山小屋が下地となっているのでしょう。山に登るためにスタープレーヤーは不要で、仲間と一歩一歩確実に登ることが肝要です。大学山部では夏に北アルプス涸沢に夏季診療所を開設していますが、そこでの診療も手伝いました。失敗のエピソードもいくつか提供されています。雪渓で転んでスキーを流してしまった時は、スキーだけでなく靴も流してしまった、と。それでも笑顔は忘れなかったとのこと。医学部卒業後は、一旦脳外科を一年間研修した後、解剖教室へ。この時の教室は中井準之助 教授、養老孟司 助教授(栄光4期生)そして廣川 助手という豪華メンバー。アメリカUCSF, Washington大学等を経て、1983年東大教授、2010年医学研究科特任教授。現在に至ります。凍結割断電子顕微鏡技術を用いて細胞骨格の分子を見える化させました。そして分子の動きを司る分子モーターの解析に進まれました。詳細は関連の文献をご参照ください。

廣川信隆さんの文化勲章受章にあたって

12期 新津 豊

廣川さん文化勲章受章おめでとうございます。心よりお祝い申し上げます。
私は廣川さんとは小学校からずっと一緒で仲の良い友達でした。ここで当時の思い出を少し記してみます。
小学校は横須賀学院という学校で、軍艦三笠と当時の清泉女学院に挟まれたところにありました。高校までの一貫校でしたが、上を目指す生徒は外部受験をするのが通例でした。廣川さんの成績は当然の如く学年一番で抜きんでていました。この年栄光学園に入学したのは3名で、廣川さんの他には音楽家の深澤茂行さん、有名なのでご存じの方も多いでしょう。ついでにもう一人が私。
当時私どもはいたずらや悪さもたくさんしました。よく隣の清泉女学院に金網越しに石を投げいれては逃げたものです。清泉小学校出身の栄光生がたくさんいましたが、このことを知らないかもしれません。廣川さんがこのようなグループにいたかどうかは覚えがありませんが、やんちゃで無鉄砲、親分肌なところがあり、いじめっ子を退治して意気揚々だったりしたこともありました。しかし一方大人びたところもあり、先生や友達とはうまくやっていたようです。
中学に入ってからはやんちゃな面は影をひそめ、優等生タイプになっていったように思います。
廣川さんと荒井進さん、小生の3人は中学高校を通じてずっと仲の良い友達でした。荒井さんは接着剤で有名なセメダイン(株)の社長、会長を歴任された人です。思えば私もすごい人たちと仲良くしてきたものですね。
3人はよく海に行ったり山に行ったり、共通の趣味の卓球をしたりしていました。悪い言葉で言えばつるんでいたという事でしょうか。しかしそこは栄光生、ヤンキーなことは一切しませんでした。
廣川さんが意識していたかどうかは別にして、私は常に彼に強いライバル意識を持ち、何事も少しでも上に立ちたいとやっきになっていました。しかし今にして思えば運動を除いて、学力ほか色々な面で対抗できたことはほとんどありませんでした。ただこのライバル意識を持てたことは私の人生に多いにプラスだったと思っています。
廣川さんの特徴を挙げよと言われれば、粘り強さと社交性がまず頭に浮かびます。
粘り強さについていえば、長い付き合いの中で廣川さんが音を上げたという記憶は全くありません。 差があるはずの卓球や、相撲でもしかりでしぶとく食らいついてきました。
社交性があることは付き合いの広さからもあきらかであり、社会人になってから荒井さん含め3人で食事した時も会話の主導権を握っていました。またあの混とんとした東大医学部で学部長まで上り詰めたことを考えると単なる社交性だけでは説明がつかず、政治力も相当なものであったと推察されます。今思えばこれは小学校の頃の行動からもうなずける所です。
中学高校時代、一方的に意識していた私のライバルが、文化勲章受章で私の英雄になりました。廣川さんのことですから今後も楽しみながら研究を深めていかれることと思います。益々のご活躍をお祈りします。

参考

栄光学園ホームページ 卒業生インタビュー

https://ekh.jp/exam/interview/index.html#nh

宮内庁ホームページ 令和5年講書始の儀におけるご進講の内容

https://www.kunaicho.go.jp/culture/kosyo/kosho-r05.html#ko-03

science1998の表紙

Neron transport KIFs scheme