2025年10月18日土曜日午後5時、32期還暦同窓会はスタートした。
同級生83名、お世話になった先生6名。合計89名の会。
冒頭、キエサ先生が挨拶で「亡くなった仲間を思って黙祷」と言う。すでに鬼籍に入っている仲間もいる。89人の参加者が一斉に口を閉じ、目を瞑り、亡くした仲間の記憶を辿る。しばらく静かな時間が流れて、「はいやめ」で目を開ける。懐かしい。思い出すこの感じ。思えばあの頃、授業が始まる度に瞑目をしていた。身体の中に染み込んでいる瞑目の静寂の感覚と流石にこの時間は静かにしていなければならないというあの義務感が、いまだ、身体の中に残っている。ああ、栄光学園である。
中盤、校歌斉唱となる。やっぱり歌うのか。とこしへの真理求めてというあれである。卒業以来42年歌ってないのに、不思議と3番まで歌詞を覚えている。おおいなる使命か。いい校歌だな、いまさらながらそう思う。阿部先生、沖喜先生ありがとうございます。ああ、栄光学園である。
終盤に向けて、歓談は続く。
いまだ社会的な重責を担うものも少なからずいる。勤め人も多様だ、趣味を本気で極め直す者、次の職場を求めるもの、まだもう少し勤め先に残る者、起業している者。教育現場に、介護の現場に、海外支援の現場にまだ現役の使命を残すもの。定年のない士業はまだまだ先を見据え、名医たちは、くたびれた同級生を見て出番はこれからと言う。一人一人違う。多様だ。生涯現役という価値観が増えれば増えるほど、還暦同窓会の多様性は拡大する。これからの世代の還暦同窓会は、もっと多様な60歳が生まれることだろう。そしてJAXAの理事、万博の副理事、日本サッカー界の未来を見つめるもの。それにしても、立派な同級生がたくさんいるものだ。ああ、栄光学園である。
こうして、あらためて久々に母校・栄光学園を肌で感じて、ふと思う。間違いなく、私たちは「栄光学園」でできていると。過去に栄光生だった自分は、今あらためて栄光生だったことに気づかされた。気づかないうちにそれは一人一人の個性の源泉にもなっている。
そして、校歌にある「とこしえのまこと」など、当然、還暦程度ではわからない。が、今後、人生を収束させてゆく中で一人ひとりの「おおいなる使命」があるならそれってなんだったのか?還暦を過ぎても栄光生たちは、「おおいなる使命」の先にあるであろう「とこしへの真理」という形のない、少し青臭い大事なものを探し求めようとしているのではないか。みんなのスピーチを聞いていて、校歌を歌って、そんなことも感じる。ああ、栄光学園である。
幹事によると65才で再集合の予定らしい。
その時に結局、一人一人にとっての「とこしへの真理」とは、結局のところ何だったのか?ゆっくりと話してみたいと思った。
2025年10月18日(土曜日)
崎陽軒本店にて
参加先生
ロバート・キエサ先生・迫嘉邦先生・飯野習一先生・近藤基博先生・小池登明治先生・林直人先生
野口 圭一郎 (32期)

集合写真

花束贈呈