ホーム活動報告・会報記事学園だよりアラムナイ89号「学園通信」より

学園だよりアラムナイ89号「学園通信」より

1. ボストンカレッジ夏季研修

夏休みに第2回の「ボストンカレッジ夏季研修」に高1、2年生31名が参加しました。アメリカ各地の主にカトリック高校から集まった120名の高校生と共に、美しいキャンパスで5日間を過ごしました。68期(高1)O君の感想を紹介します。

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高1 O君

まずこの素晴らしいプログラムへの参加を許してくれた保護者、何度も助けてくれた先生方、事前研修をしてくださった上智大学の皆様、プログラム中ずっと気を配ってくれたメンター、共に参加した最高の仲間たち、ボストンカレッジの皆様に本当に感謝しています。ありがとうございました。
5日間の講義の内容は本当に素晴らしいものでした。その中で一番印象深いのは初日の講義の中にあった「自分が他人から愛されていると感じられる人は他人を愛することが上手い」ということです。今回のプログラムで学んだ様々なキリスト教の精神の根底にあるのはこの他人を愛することであると感じました。実際に、今回出会った多くのキリスト教徒の生徒・メンターは本当に愛にあふれていて、他人を愛することが上手いなあと感じました。全然英語が喋れない僕たちの話を真剣に丁寧に聞いてくれたし、僕たちが理解できるまで丁寧に説明してくれました。そして、僕もこの1週間を過ごす中で愛をたくさん感じ、他人を愛することが上達したのではないかと思います。
次にコミュニケーションについてです。これは僕が渡米前に一番心配していたことです。事前研修のおかげで少しは自信がついたと思っていましたが、実際に最初の食事タイムでは全然輪に入れず正直辛い時間が続きました。アメリカの生徒たちと先程述べたような関係性になるには実はかなり時間がかかっていて…(笑)もちろん、最初から話しかけてくる人はほとんどいないし、アメリカ人同士での会話はものすごく早くて聞き取れないし、つけ入るスキを与えてくれません。自分から話しかけることの大切さを痛感しました。いつまでも受け身でいたら何も始まらないというのは普段の生活にも生かせる教訓になったと思います。それでも、うまく会話が始まれば、彼らは日本の事にすごい興味を持ってくれて、住んでいる地域の事やスポーツの事で会話が弾みました。アメリカの生徒とたくさん話ができたことはこのプログラムの価値を何倍にもしてくれたと思います。だからこそ、ビビっていた最初の時間は今でも本当に後悔しています。悩む前に行動することは本当に大切です。
最後に、このプログラムに参加して本当によかったと思っています。受け身では何も始まりません。悩むなら是非勇気を出して参加してほしいと思います。

2. 飯館村研修旅行

避難解除されたばかりの福島県飯館村に、校長以下5名の教師の引率の下28名が3泊4日で訪れ、中学生を始め多くの方々と交流してきました。67期(高2)M君のレポートを紹介します。

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高2 M君

飯舘村へ行こうと思ったきっかけは、友達に誘われてという感じだった。しかし、今から振り返ると、村の人の温かさに支えられた、とても意味がある研修だった。
まず最初に飯舘中学校の生徒とバスケした。初対面というだけでなく心のどこかに地震や原発のイメージがあり、最初はどうやって接していいのか分からず、気を使ったり、栄光生で固まったりしていた。しかし、バスケをしているうちに、いわゆる中学生のノリが感じられてきて、気がついたら一緒に心から笑いあっていた。まるでずっと前から友達だったみたいに。そこで思ったのが、自分は心のどこかに、福島の生徒たちは震災と原発でいろいろなものを失ったり、つらい思いをしているはずだから、普通の中学生とは違う、という先入観を持っていたということだ。他にも、福島の野菜はまだ危ないとか、放射性廃棄物の入った黒い袋は危ないとか、自分の勝手なイメージで生きてきていたことを実感した。そうして初日の活動を終え、夕方にお迎えのバスが来て帰るとき、今までずっと仲良くしてきた友達が遠くへ帰ってしまうような感じがして、ものすごい悲しく、そしてもうすでにそんなにも彼らに愛着が生まれた自分に驚いた。手をふってバイバイするとき、明日また会えることは分かっているのに別れるのがつらい、と思えるほど仲良くなれたことが嬉しかったし、途中から原発だの地震だの忘れて、何のための研修旅行だったか忘れてしまうほど楽しんでいた。
今回の飯舘村研修、確かに村のあちこちに黒い放射性廃棄物の入った袋が積み上げられていたり、人が少なかったりなど、実際に村を見ることで感じることも多かったが、僕にとってはそれより、この飯舘村研修で出会った人から学んだことの方が多かった気がする。特に個人的に良かったのが、夜の分かち合い。学んだことをそのままにしないで再確認できるし、普段話している人以外の人と話すことで、自分では考えていなかったこと、こんな考え方もあったのか、あの人あんなこと考えてたんだ、など発見がたくさんあった。また、この飯舘村研修旅行のサポートをしてくださった福島の小学校教師の武藤先生は、個人的にとてもお世話になった。飯舘村中学校の生徒と交流とは話が変わるが、僕たちは3日目にEDCAMPと言う、教育を題材にした様々なテーマの中から、自分の興味があるものを選び、同じテーマを選んだ人たちで集まって話をするという企画をしたのだが、僕の選んだ『良い先生とは?』というテーマのグループを仕切ってまとめてくださったのが武藤先生だった。そこでは、同学年や後輩、大学生や小学校教師、日野先生と、多様なメンバーがいる中、武藤先生は人生経験の浅い僕らの意見も真摯に共感してくれて、さらに武藤先生自身が話してくれた「どこ子も必ずその子しかもたないその子の光をもっている」という言葉には、なんて素敵な先生なんだろうと感動した。個人的にとても刺激をもらって、また話を聞きたいと心から思っている。
こうした素晴らしい旅行を企画、サポートしてくださった井本先生を含む先生方、武藤先生、会田先生、自分たちのために貴重な話をしてくださった飯館村の方々、飯舘村中学校の生徒のみんな、一緒に行った栄光生やサポートしてくださった栄光の関係者の方々など、いろいろな人の力のおかげでこのような素晴らしい旅行になったと、とても感謝している。この飯舘村研修は、いわゆるボランティアのようなことはしなかったが、とにかく楽しかったし、自分の未熟さ、小ささみたいのも感じた、とても意味のある研修だったと思う。

3. 関東高校将棋リーグ戦A級 三連覇!

囲碁将棋部が関東高校将棋リーグ戦A級で三連覇を達成しました。66期(高3)のM君の報告を紹介します。

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高3 M君

8月26日、僕は関東高校将棋リーグ戦に参加した。関東高校将棋リーグ戦とは、上から順にA級、B級、C-1級、C-2級の4つのクラスに分かれて行う5人一組の団体リーグ戦である。A級には栄光のほかに、武蔵、開成、桐朋、浅野(今回は欠場)、筑駒と名だたる強豪校が在籍している。前回優勝校としての意地を見せようと高3の5人で出場した。
引退の時期をとっくに過ぎており、将棋から離れていたので、厳しい戦いだった。
筑駒戦、桐朋戦、開成戦は、2勝2敗で残りの一局の結果によってチームの勝敗が決まるという展開だった。その最後の一局をすべてものにし、3戦とも3-2というスコアで勝つことができた。これはまさに僥倖だった。
こうして、苦しい試合が多いなか、全試合に勝利して優勝を果たすことができた。これで大会3連覇である。僕が高1、高2で優勝したときは、65期の先輩に支えられる形での優勝だったが、今回は66期の将棋部員だけで勝ち取ったものだったので、一番嬉しい優勝だった。最高の形で栄光学園将棋部を終えることができたと思う。
無理をして大会に出場し、一緒に戦ってくれたK、I、Y、Iの4人には感謝している。
最後に、全試合あたたかく見守ってくださった石川先生には本当に感謝しています。ありがとうございました。

4. 栄光学園のルーツを訪ねる

68期聖書研究会が旧田浦校舎を訪問した記事が学園通信No.132に掲載されています。生徒がまとめた文章の一部と飯野習一先生(19期)の補足を紹介します。

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この度、8月9日に栄光学園のルーツを探るべく、旧校舎を訪問することが出来た。旧校舎といっても大船にあったものではなく、最初期にあった田浦のものである。今でも校舎の一部は残っているのだが、海上自衛隊の施設に取り込まれているため、Tさん(55期生のお父様、元海上自衛隊)のお世話でこの見学が実現した。
まず田浦校舎に向かうにあたって、当時の栄光生が通った道を歩こうということで京急田浦駅から徒歩で移動した。そこまで厳しい道程と感じなかったが、当時の通学路にも「栄光坂」と呼ばれていた(ちょっとした)坂があったりして興味を惹いた。
さて、一旦ここで旧校舎建立の経緯を軽く説明する。1946年の半ばに、イエズス会は、米海軍第五艦隊司令官デッカー大佐より、横須賀に中学校を設立するよう要請された。…デッカー大佐は、軍港の町横須賀を平和建設の基地にしようと考えて、旧海軍の土地にプロテスタントの学校とカトリックの学校と2つずつ設立することを計画したのである。(栄光学園50周年誌「より高く」より)。
またその田浦校舎は、旧海軍施設を改修して使用していて、さらにその校舎の棟の一つを今もなお改修して自衛隊が使っているという、かなり使い続けられている建物である。おおもとが旧海軍施設なので、建物がとても頑丈であるそうだ。その残っている校舎は中学校舎として使っていたらしいのだが、今回、その今日も使用している建物に入らせていただけた。古い写真とくらべてみると外見は改装工事によりかなり変わっているのだが、中に入るとその面影は残っていた。とある教室には黒板が残されていたり、扉が高かったり、教室がとても縦長だったりと、大船の旧校舎での古びた雰囲気を醸し出していた。思い返せば、なにかと大船旧校舎に似通っている気がするという感覚が非常に不思議で面白く感じられる。
旧校舎にはあまり長い時間いなかったのでここら辺りになってしまうが、非常に貴重で大切な経験が出来、とても感謝している。

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68期の聖書研究会担当が年に二回このような企画をします。今回は8名の生徒が参加し、壱岐、飯野が引率しました。また田浦校舎で生徒時代のほとんどを過ごされた、同窓会事務局長の前山さん(13期)にも同行していただきました。
田浦校舎で残っているのは中学棟だけです。その後いろいろと手が入っていますが、建物のシルエットは変わっていないようです。当時の朝礼の写真と、今回撮影した記念写真を見比べてください。
デッカー大佐が設立を要請した四つの学校のうち、プロテスタント校の一つが横須賀学院、カトリック校の一つが栄光学園です。以前栄光で数学を教えていた会田先生に二人の先生を紹介していただきました。キリスト教青年会の生徒たちともお話しすることができました。
カトリック三笠教会は栄光学園創立の翌年、1948年に今の場所に移転したそうです。横須賀学院のすぐ隣にあります。(飯野 習一)

かつての田浦校舎の前にて

内山 正樹 (9期)