27期の学年主任を務めていただいたマヌエル・シルゴ先生を有志21名で「鎌倉黙想の家」に訪ねました。1937年5月にお生まれの先生は、今年81歳になられました。イエズス会日本殉教者修道院である「鎌倉黙想の家」で毎日を過ごされ、信者の方々をお相手に霊操、週末黙想会、日帰り黙想会などで講話やミサを務められています。
鎌倉駅で待合せをしてタクシーに分乗しながら到着した21名は、にこやかに先生に迎えられて中に入り、食道に丸椅子を並べて座り、ビールやワインを片手に賑やかに歓談をしました。体調を崩されて手術を受けられた後は歩くことが若干不自由になり、お酒は辞めて食事の塩分も控えられていますが、シャープな頭脳とユーモアあふれるお話しぶりは当時と全く変わらないままで、20歳以上も若いこちら側が逆に元気をいただきました。
先生には、日本に着任された当時のことからお伺いしました。母国スペインから米国に渡り、語学の勉強をされた後、赴任先に決まった日本に向かわれました。サンフランシスコから日本までの航空券を渡されていたにも拘わらず、当時貧しかったイエズス会日本管区から「航空券を使わずこちらに渡すように」と指令を受け、聖職者が無償で乗船できた小型貨物船に乗り、船便で太平洋を渡りました。出航してゴールデンゲートブリッジをくぐった辺りで早くも船酔いになり、到着するまでの13日間ずっと船酔いが続き、甲板で冷たい風に当たりながら何とかしのがれたそうです。
日本ではまず六甲教会のある兵庫に行かれ、その後に栄光学園に着任されました。田浦旧校舎から大船新校舎へ移転した頃のことで、正面ルートの切通しはまだ工事中で、ウルフ先生が「今日はどこそこまで道が出来た」と進捗状況を毎日報告されていたそうです。
参加者全員が順番に近況報告やシルゴ先生との想い出話をした後で、先生から「私には子供がいないので、あなたたちのことを自分の子供のように思っています。自分が出来ることは祈ることなので、毎日あなたたちのことを思いながら祈っています」というお言葉をいただき、感極まって涙ぐむ者もいました。27期は卒業してから5年ごとに同期会を開催していますが、卒業40周年に当たる来年は、3月23日に開催することが予定されています。 4年前の卒業35周年同期会の写真をお見せしながら先生をお誘いしたところ、早速その場でご快諾をいただき、半年後の再会を約束して黙想の家を後にしました。鎌倉駅にバスで戻ってからは、西口の居酒屋「六弥太」を貸切りにして懇親会を行い、懐かしい話に花を咲かせました。
堀内 英樹 (27期)