ホーム活動報告・会報記事学園だよりアラムナイ90号「学園通信」より

学園だよりアラムナイ90号「学園通信」より

2018年に入り母校は文武両道で大活躍でした。
第1回から5連続出場中の「科学の甲子園全国大会」で初優勝を飾り、米国で開催されたサイエンス・オリンピアドに特別参加しました。
運動部では野球部が春季関東高校軟式野球大会神奈川予選で優勝し、1都6県16チームがしのぎを削った関東大会で13年振りに優勝しました。更に、学園通信では次号に掲載されると思われますが、夏季県大会Bブロック優勝し、全国大会出場を掛けた南関東大会(神奈川、千葉、埼玉)に進出しました。決勝まで勝ち上がりましたが、残念ながら慶應義塾高校にサヨナラ負けし全国大会出場は逃しました。

1. 第7回科学の甲子園全国大会

引率の塚本先生の前文及び高3生のレポートを紹介します。併せて読売新聞に掲載された「米の科学競技高校生挑戦-全国Vの栄光学園8人健闘-」の記事の一部を紹介します。

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栄光学園は第1回大会から連続出場中の「科学の甲子園全国大会」。毎年のように入賞を重ねるものの最高順位は2位。優勝までの壁は厚いものでした。
物理研究部のメンバーを中心に編成された今回のチームは、筆記競技で断トツの1位に輝いたほか、3つの実技競技でも満遍なく上位の成績をおさめ、悲願の初優勝に輝きました。
優勝チームとして、この5月にアメリカ合衆国コロラド州で行われるサイエンスオリンピアードへ派遣されます。(引率:塚本先生)

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私は、科学の甲子園3日目の午後の、表彰式とその後の記者会見について書きたいと思います。
表彰式では、表彰に先立って、主催する科学技術振興協会の理事の方や、文部科学省の方などからの講話があり、続いて競技ごとの表彰で、各競技(筆記競技及び実技競技①~③)の第1位と第2位のチームがそれぞれ賞状を受け取りました。初めの筆記部門の表彰で、1位に栄光の名前が呼ばれたときは、とてもうれしかったです。また実技②部門でも第2位になることができました。
その後は、企業特別賞の表彰で、対象校は競技において優れたチームワークを発揮したチーム、筆記競技で独創的な解答をしたチームなど、賞ごとにさまざまなコンセプトがありました。
そしていよいよ総合成績の表彰です。まず6~10位のチームがまとめて発表され、その後上位5校の発表です。5位から順に1校ずつ発表されるにしたがって、緊張もだんだんと高まってきました。栄光の名前は最後まで呼ばれず、ついに第1位の高校の発表となり、会場も緊張する中、栄光学園と発表されたときにはとてもうれしかったです。
それから優勝杯や旗、目録、メダルなどの授与などがあり、写真撮影が行われ、表彰式が終了しました。その後ほかのチームは協同パートナーの企業による研究展示会に行く中、私たちは別室での記者会見となりました。移動の途中偶然出会った去年の科学の甲子園に出た先輩方や、準備をサポートしていただいた同期や後輩も見守ってくださる中、記者会見では優勝した時の感想や、これまでの準備の様子、競技でのチームワークなどについて尋ねられました。また写真や映像の撮影もありました。とても緊張しましたが、とてもいい経験ができたとありがたく思っています。(高3 Ý君)

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「米の科学競技 高校生挑戦」
高校生が科学の知識や実験、工作の技術を競う「第7回科学の甲子園全国大会」(科学技術振興機構主催)で初優勝した私立栄光学園高(鎌倉市)の男子生徒8人が、米国で開催された中高生の全米科学競技大会「サイエンス・オリンピアド2018」に特別参加した。
「科学の甲子園」は6~8人でチームを組み、理科や数学、情報分野の筆記問題や実験などに挑み、総合点を競うもの。同高は第1回大会から7年連続で県代表に選ばれ、3月の全国大会で念願の全国制覇を果たした。
優勝メンバーとなった同高2、3年の8人は、大会の副賞として全米科学競技大会に参加できる権利を獲得。米・コロラド州立大で5月に開かれた大会に海外から唯一の招待チームとして参加した。
全米各州の予選を勝ち抜いた60チームとともに、科学の知識を駆使して容疑者を特定する「犯罪科学」、コンピューターゲームのプログラムを作成する「ゲーム・オン」など四つの協議に挑戦した8人は、慣れないルールや英語に苦しみながらも最高20位に入る健闘を見せた。(読売新聞より)

2. 野球部 春季県大会優勝、関東大会優勝

学園通信の部活動報告から抜粋して紹介します。

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4月14日から5月6日にかけて行われた春季関東高等学校軟式野球大会神奈川県予選で、栄光学園は見事に13年ぶりの優勝を飾りました。その試合結果を報告したいと思います。
ところで今年のチームは身体能力が高く、軟式野球には欠かせない小技や盗塁に加え、長打が出やすいのが特徴です。試合ごとに違った戦い方で勝ち進むことができました。

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2回戦対 藤嶺藤沢 9x - 3
3回戦対 横浜隼人 2 - 1
準決勝対 県立商工 6x - 1
決勝対 法政二高 5x - 1

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続いて、5/24~5/28にかけて行われた春季関東地区高等学校軟式野球大会に栄光は神奈川A代表として出場、13年振りに優勝を果たしました。今年の春の関東大会は茨城県の土浦市にあるJ:COMスタジアム土浦を主会場として開催され、1都6県の代表計16校がしのぎを削りました。その試合結果を報告したいと思います。

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1回戦対 八千代松陰 8x - 1
2回戦対 日大荏原  9x - 5
準決勝対 下館第一  12x - 2
決勝対 法政二高  7x - 4

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関東で勝つことを目標としてきた春の大会。結果的にはその目標を達成し、優勝することができました。しかし、我々高校野球部の一番の、そして最終的な目標は夏の全国大会で勝ち、国体に出場することです。そして、夏の全国に出場するには、まず夏の神奈川県大会でブロック優勝し、その後行われる南関東大会(今年は神奈川から2校、千葉・埼玉から各1校が出場します)で、優勝しなければなりません。
今、野球部はその夏の県大会で勝つために、そして、なんとしてでも南関東で勝って明石(全国大会の開催地)に行くために、練習を積んでいます。夏の結果に期待しつつ、どうぞ温かい目で野球部員を見守ってやってください。
最後になりますが、栄光や保土ヶ谷、さらには茨城まで応援に来てくださった、栄光生、先生方、保護者の皆さま、卒業生の皆さま、本当にありがとうございました。(記録員 S君)

春季関東地区高等学校軟式野球大会優勝
夏季は惜しくも南関東大会決勝で敗れ、全国大会出場はならず

3. 66期卒業式

66期173名が卒業し同窓会に加入しましたが、卒業式のN君の「卒業生の言葉」を抜粋して紹介します。

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卒業式答辞という素晴らしい舞台で、私は66期の代表として、66期がどのような集団であるかをいくつかのエピソードを通じて見直し、一人一人がこれからの社会でどのような人間になるべきか、一つの考えを述べたいと思います。
突然ですが、栄光学園は「オタク」の集まりです。オタクというと一般にはサブカルチャーを愛好する者に適用される言葉です。しかし、今から私がお話しする栄光の「オタク」は、もっと広い意味で「一つのことにのめりこむ、恐ろしいくらいのエキスパート」を指します。ある者は数学に、ある者はギターに、ある者は丹沢に、そしてある者はタンザニアに惚れ込み、それぞれ様々な○○オタクと化していくのです。そしてそれは自然と各々の強烈な個性となっていきます。強烈な個性が混沌とまじりあう集合体こそ、紛れもない栄光学園の本質なのです。
そんな個性の塊である栄光生の趣味や特技、得意不得意、好き嫌いはもちろん一人一人異なるもので、対応して複数の「オタク」グループが学年内にできるのも当たり前です。66期はそのグループの棲み分けができていると感じます。異なる考えをクールに尊重できているという意味です。学園での沢山の経験によって、異なる考えを尊重できるようになったのだと思います。では、一体どのようにしてその気風が育まれたのでしょうか。私はその問いの答えになるだろう一つの事柄を想起しました。
私は高2で生物研究部のキャプテンを務めており、日々、部の運営に邁進していました。そこに立ちはだかった、仮設校舎で制約だらけの栄光祭。その制約というのも「満タンの水槽を展示すると床が抜ける」などという普通では考えもつかないようなもの。私はサブキャプテンと真剣に悩みました。文化部にとって栄光祭は1年で一番大切なイベントです。なぜなら栄光祭は研究成果を発表する貴重な場であるとともに、新中1を部活動に勧誘する重要な機会でもあるからです。数々の重圧から、当時の私は「成功」という強迫観念にとらわれていました。
悩みを抱えながら、私はある日、同級生の栄光祭実行委員の作業に遭遇しました。そこで私は衝撃を受けます。もちろん実行委員も決まっていないことやできないことの方が多いという絶望的な状況におかれていました。先輩方からの引継ぎマニュアルでは対応できないことが山ほどあり、自分たちが作るマニュアルは来年には役に立たない。そんな中でも66期の実行委員は手探りで0から一つのものを作り上げようと奮闘していたのです。仮校舎用の特別なノウハウを次々と考案し、諸々の制約に果敢に挑んでいく同級生の熱意に心動かされ、私も考え方を転換することにしました。
仮設校舎でしかできないことをする。この非常事態をチャンスとして活かす。こう考えると不思議と次々とアイディアが生まれてきました。
ここで改めて考えてみてください。校舎移転など数々の非常事態において、中心学年である66期に協調性と熱いハートが無くてこれらのイベントを完成できたでしょうか。66期は気づかずに、否応なしに協力せざるを得ない状況に放り込まれていたのです。奮闘する同級生に触発されて行動を起こした人は数えきれません。困難を通じて育まれた協調性と熱意は、体育祭や去年の栄光祭での高3企画にもいかんなく発揮されました。
もう一つ66期を創り上げた大きな要因が、66期のオタクの一人、加藤旭の存在です。誤解のないように繰り返しますが、「オタク」という言葉にはエキスパートの意味を込めています。改めて紹介すると、旭は10歳までに約500もの曲を作り、自らの病気発覚後にはそれらの曲をCD化して現在も様々な社会貢献に活用されています。加えて、彼は筋金入りの鉄道オタクでもあります。そんな加藤旭は私たちにこれから進むべき道を示しているように思えます。
それは、彼の驚くべき行動原理です。彼に関することはどうしても「若いうちに亡くなってしまってかわいそう」「小児がんをなくすために行動したなんて偉い」というニュアンスが含まれてしまいます。しかし、旭自身が彼のCDに寄せたメッセージにはそれとは少し異なったことが書いてあります。一部抜粋して紹介します。

「僕と同じように難病と闘う子にも聞いて楽しんでもらえれば嬉しいですが、ほかの子もみんな音楽のCDを楽しめるとは限りません。……その子は何がしたいのか、そのために何ができるのか、ということを、このCDをきっかけに考えていただけると嬉しいです 」

俺は俺の得意な領分でやりたいことをやっただけだ。他の人も自分のやりたいことをやってみてほしい。
かっこいい!こんな考え方ができる人が世界中に一体何人いるのでしょうか。当然、彼だってもっと生きていたかったはずです。極限の状況でも、彼は他者に目を向け新たな行動を起こした。この姿勢には人生の長い短いということだけでは到底表し切れない、絶大な価値があります。私達は、彼が示す「他者のために自らが『これだ!』と思うことを実行する姿勢」を常に頭においてこれからの人生を送らなければなりません。旭は私たちの行動原理となって66期、栄光学園に生き続けるのです。
個性ある授業・学園の大変革・旭の行動、という三つのエピソードから、私はこれから生きていく社会における一つの指針を見出すことができるのではないかと考えます。それは「他者を尊重できる熱意を持った専門家であれ」ということです。専門家達が、他者をクールに尊重し、熱いハートを持って、「自分は他者のために何ができるのか」をがむしゃらに考えていく。奇しくもこの姿勢は、現在の社会で求められている人間像と合致します。
栄光での経験から導き出された、「他者を尊重できる熱意を持った専門家であれ」という栄光学園で導き出された一つの指針は、世界中で必要とされる人間像の根本であると思います。この6年間で私たちは最も大切なことをすでに学んでいるのではないでしょうか。となると66期は、日本を、世界を動かす力を潜在的に持つと言えます。あとはその力を自覚し、社会で存分に発揮していくだけです。
改めて、今日まで我々66期を時に熱く、時に静かに、そしていつも優しく見守ってくださった教職員の皆様や家族、至らなかったところもあったけどしっかりついてきてくれた後輩達、ここにいる全ての人に対して、66期を代表して心から感謝申し上げます。そして、66期大好きです。本当にありがとうございました。(66期 N君)

4. 高2(67期)沖縄修学旅行

67期の沖縄修学旅行が2月15日から18日まで実施されました。修学旅行委員会で副委員長を務めたM君の準備段階の感想を紹介します。

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修学旅行委員が発足したのは5月下旬。早い。まだあと9か月くらいあるので、みんな旅行の実感がなく、どんなものなのか分からなかったと思う。最初の旅行委員の仕事は、1日目の自由行動のモデルコース作成とそのプレゼンだ。委員が考えた大まかなテーマに沿って、担当するそれぞれの委員が夏休み中に細かいプランを考えてくる。10月の発表に向けてイメージを膨らまし、自分が考えたコースの魅力を熱弁した。みんなだんだん沖縄旅行のイメージができてきたころだと思う。
その後、自由行動班を決める。中間試験を挟み、次は3・4日目の選択コースを決める。この選択コースには定員が定められており、もし予備調査で定員オーバーしてしまうと、抽選になってしまう。しかし、プレゼンをした委員は無抽選でそのコースに参加することができるという特権を持つので、自分が参加したいコースは積極的にプレゼンをしたい!という委員がたくさん出てくる。なんともよくできたルールだと思った。プレゼンするときは自作のパワポを使ってみんなの前で発表するのだが、ワードを下にスクロールさせて無理やりパワポみたいにして発表したり、ある先生の授業中のパワポを完璧にオマージュして発表した委員がいたりと、とても個性豊かな発表ばかりで面白かった。
3日目は25コース、4日目は12コースもあるので、どのコースにするかは、かなり悩む。人気のありそうなところは抽選になる可能性が高いため、みんながどのコースを選ぶかを予測しつつ、希望のコースを決めなければならなかった。廊下に集計結果が張り出されたときは、合格発表のときみたいに大声で喜んだり嘆いたりしていた。11月から12月にかけて行われた選択コースの抽選会は、ドラフトくらいに盛り上がって、両方とも運よく抽選にならなかった僕 (意外にも少数派!) にとって、なった人には申し訳ないが、見てて楽しかった。
そんなこんなで我々は冬休みを迎える。委員に限らず、冬休みに自分の班の自由行動のルートを決めるという宿題が出された。僕たちの班は、那覇空港に着いたら、美味いと評判の首里そばの店に行って腹を満たし、世界遺産にもなっている識名園にタクシーで行った後、徒歩で沖縄の街並みを楽しみながら首里城を巡るという、王道?のルートにした。
休みが明け、気付いたらあと1か月だった。冬休み前は全然実感がなかったのに、冬休みが明けると「あれ、もうすぐじゃね?」という感じで、一気にみんなの気持ちも高ぶってきた。そうなると、残る委員の主な仕事は、学年の雰囲気の盛り上げとしおり作りである。しおりは笹部君作のかっこいい表紙と長田君の頑張りのおかげで、クオリティの高いものができた。本当にこの二人には感謝しています。
残すは2週間、となったところでしおりの印刷・製本が完成。ここまで間近になると、昼休みの会合でやることは、旅行中の委員の動きの確認くらいになり、気分は沖縄モード。授業中も、時計を見ては「あと何日寝たら沖縄・・・!」ということばかり考えていた。
こうして迎えた沖縄旅行。中身のことについてもたくさん書きたいが、他の委員にバトンを渡す。でも一つだけ言いたいのは、旅行委員をやって本当に良かったということ。誰一人嫌な顔しないで、積極的に意見を出し合い、楽しく当日を迎えることができたのは、本当に旅行委員みんなのおかげである。目立った仕事は何もしてない、頼りない副委員長だったけれど、最後の学年行事で最高の思い出を作ることができて、本当に感謝しています、ありがとう!!!(67期 M君)

内山 正樹 (9期)