ホーム活動報告・会報記事学園だよりアラムナイ91号「学園通信」より

学園だよりアラムナイ91号「学園通信」より

1. 創立記念式典 学校長のことば

第71回の創立記念式典での望月伸一郎校長の挨拶を抜粋して紹介します。

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今日6月21日は、栄光学園の保護の聖人である、アロイジオ・ゴンザガの記念日で、学園の第71回目の創立記念日です。
創立記念日とは、いわば学校の誕生日です。これまでの歴史をふり返りつつ、自分たちの学校はどんな学校であるのかという、いわば原点を再確認する機会となる日です。

先週のことでしたが、学校の保健室に用事があってちょっと立ち寄ってみたら、入ったところにある大きな丸テーブルの上に一冊の本というか、マンガが置いてありました。それは、吉野源三郎原作の『君たちはどう生きるか』というマンガ本です。この本は去年出版されたにもかかわらず、もうすでに200万部以上の売り上げを記録しているベストセラーです。みなさんの中にも読んだことのある人はたくさんいるだろうと思います。
コペル君というあだ名のついた15歳の主人公が、学校で体験した様々なできごとを、父親代わりのようになっているおじさんに話します。そして、そのやりとりを通じて、コペル君自身が、自分の中に広がる新しい世界や可能性に気づいていくという物語です。
このマンガの原作となっている吉野源三郎の小説は、いまからもう80年以上も前の1937年に出版されたものです。タイトルとなっている「君たちはどう生きるか」という言葉は、実は、小説の最後の言葉であり、著者から読者への問いかけの言葉なのです。
「君たちはどう生きるか」

私たちは自分の将来を考えるとき、どんな仕事につこうか、どんな大学に進学しようかを考えます。確かにそれはとても大切ですし、納得のできる選択をするためには、正確なたくさんの情報が必要でしょう。自分の希望する大学にいき、職業につくには、情報だけでなく努力も必要です。
ですが、たとえどんな進路を選択し、どんな仕事や地位についたとしても、大切なことは「君たちが何になるか・何になりたいか」ということと同時に、この小説のタイトルのように、「君たちはどう生きるか・どう生きたいか」ということではないでしょうか。

冒頭にもお話ししたように、今日は、カトリック教会の中で、アロイジオ・ゴンザガという人の記念日です。栄光学園は、アロイジオ・ゴンザガを保護の聖人とする学校、別の表現をするなら、アロイジオ・ゴンザガにならい、その心、その生き方を模範とするような学校である、ということです。
アロイジオの生涯をたどるとき、私たちがそこから学ぶこと、私たちにとって大切なことは、何になりたいのか、どんな業績をあげたいのか、ということではなく、どう生きたいのか、ということです。
アロイジオが示してくれているのは、まさにmen for others、with othersという生き方そのものです。そして、どのように生きていくのか、ということは、君たち自身、一人一人が考えなければなりません。ひとつひとつの判断や行動に、すでに用意されている答えがある わけではありません。それぞれの時、それぞれの場で、君たち自身が答えを出す、ということが大切です。
アロイジオのような生き方は、アロイジオにしかできないわけではありません。栄光学園で学んで卒業して行った、君たちの先輩たちの何人もが、そのような生き方をしたということ、しているということを、今も私たちに示してくれていると思います。

今日の創立記念日にあたっての、私からのメッセージは以上です。

2. 長崎巡礼

夏休みに中3(70期)の希望者18名が世界遺産入りが決定した長崎への巡礼を行いました。参加者のY.N.君の感想を紹介します。

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僕はこの4日間の長崎巡礼を通して、普段の日常生活では味わえない貴重な体験をした。その貴重な体験とは、キリスト教の歴史を知るために多くの教会や記念館、 資料館などに実際に足を運び、当時キリスト教を信仰していた人たちの生き方や考え方について深く時間をかけて考えることができた、というようなものだ。このような体験の中では二つの発見があった。まず一つ目の発見として、当時キリスト教を信仰していた人たちは皆、「ある一つの目標」のためには、自分の命を惜しまなかった、ということが挙げられる。さらにこのような行動を僕と同じくらいの年の子や、僕よりも幼い子がしていたことには驚いた。そして、その「ある一つの目標」とは、「自分以外の全ての人(自分を殺す人も含む)が、悪から救われ、世の中が平和になるように」ということであった。二つ目の発見は、キリスト教に関することではないが、平和記念公園や原爆資料館を見学した時に、戦争や原爆の悲惨さや残酷さ、何の罪もない人たちが亡くなる無意味さを改めて実感し、もう二度と同じ過ちを繰り返さないようにしなくてはならないと強く思ったことだ。僕はこのような二つの発見を通して、今の自分の目標は何か、と考えさせられ、またそのような目標を達成するまでの間では自分以外の人と、どのように接すればよいかを学んだ。

3. 野球部県大会ブロック優勝、南関東大会準優勝

野球部が春季大会での県大会優勝、関東大会優勝の快挙に引き続き、夏季大会でも大活躍しました。県大会ではBブロックで優勝し、全国大会出場を懸けた南関東大会(神奈川・埼玉・千葉)で決勝に勝ち上がりました。決勝は慶應義塾高校との神奈川対決となり、先制、逆転、再逆転と大接戦になりましたが、8回裏に追いつかれ、残念ながら9回サヨナラ負けで全国大会出場を逃しました。
試合結果と67期キャプテンM.F.君の挨拶を紹介します。

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夏季県大会Bブロック

2回戦対藤嶺藤沢 10x - 3
準決勝対聖光学院 4 - 2
決勝対桐蔭学園 7 - 4

南関東大会

準決勝対花咲徳栄 7x - 0
決勝対慶應義塾 4 - 5x

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応援下さった皆さまへ

67期キャプテン M.F.

先日の夏大会に応援に来て下さった、たくさんの生徒、保護者、先生方、本当にありがとうございました。一年間目指してきた全国大会まであと一つのところで負けてしまい、とても悔しい思いもしましたが、スタンドを埋めて下さった皆さんのご声援の中、最後までプレー出来たことに感謝しています。グラウンドから目を向ける度に目に入ってきた大応援団、一球毎に頂いた大きな歓声は、今後も印象強く残っていくことと思います。
僕の親含め野球部の父母たちからも、皆さんのご声援に感謝している旨を聞いており、親子共々感謝しています。
67期は引退となりましたが、新チームがまた新たな 目標に向け頑張っておりますので、今後とも野球部への応援をよろしくお願いいたします。
本当にありがとうございました。

4. 数学甲子園・英語弁論大会 全国優勝

第11回全国数学選手権大会(数学甲子園2018)で68期の5名のチームが全国610チームが参加する中、8月に行われた予選会でチームの平均点上位36チームに入り、9月に行われた本戦で灘高等の強豪を押さえ初の全国大会優勝を達成しました。
11月には第67回チャーチル杯争奪全日本高等学校弁論大会に、68期の渡部光貴君が出場し、見事全国優勝を果たしました。この大会は、原稿・音声審査を経て東日本予選大会の出場権を得、東日本予選の上位6名が西日本予選を通過した6名と共に全国大会に出場できるという、国内の高校生英語スピーチ大会の中でもハイレベルな大会で、1952年にイギリスのチャーチル元首相の支援のもとに始まった大会です。

5. 西表島研修旅行

高1(69期)沖縄ゼミの16名の生徒が冬休みに3泊4日の西表島研修旅行に行って来ました。参加者の中から2名の感想を主介します。

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自然との接し方

Y.U.

今回の3泊4日の西表島研修旅行で一番印象に残っているのは島民の自然との関わり方、考え方である。イノシシ猟で連れて行ってくれた中坂眞後さんは実は東京都出身で、一人暮らしをしていたが、「こんな自然を破壊するような生活をしていたら、自分たちの代で限界が来てしまうのでは?子供や、その次の世代にまで世界を残せないのではないか?」と考えて西表島に来たそうだ。
西表島では自然が人間のエゴで破壊させられないように、ルールがある。例えば刺し網漁では小さい魚は取らずに海に返したり、イノシシ猟では小さいイノシシが罠にかからないように工夫している。これらは次の世代でも自然からの恵みを受けられるようにするためである。
イノシシ猟での眞吾さんは自然に順応していたように見えた。例えば、山の中で匂いを嗅いでイノシシがどこを通ったのか、今年はどこら辺に縄張りを持っているのか、などを感じたり、山の中で自分の子供と場所を確認し合うために口笛を吹いたりなど、都会で育ってきた僕たちには真似できないようなことをたくさんしていた。また、眞吾さんは山の道やどこに罠をかけたか、どこをイノシシが通っているかなどをきちんと分かっていて、自分は自由に動け、山の中に放り出されても生きていく自信があると語っていた。
僕たちは「自然を大切にしましょう」と、言葉だけで言われてきたため、自然からの恵みを深く考えず、当たり前のように受け取っていたが、今回のゼミ研修では努力して、自然を身近に、直接感じることができたため、自分の自然に対する関わり方や考え方を変える良い機会になった。このゼミを選んで本当に良かったと思う。

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西表島を守る『つながり』

R.I.

西表島が多くの自然に囲まれているのは周知の事実である。そこで現代の日本において未開発の地域である西表島がどうやって今ある自然を守ってきたのかに非常に興味があった。そして私はその理由を「島の人々が『つながり』を大切にしていること」だと考えた。
近年世界では乱獲や乱開発が頻繁に行われ人間の都合がよくなるように物事を進めてきた。そしてその『つながり』を完全に無視した自分勝手な行為が地球温暖化や絶滅危惧種の発生などの人間たちにとっても不利益な現象を巻き起こしてしまっている。
対して西表島ではなるべく自然の元の姿を壊さない、すなわち『つながり』を保つことを絶対的なこととしていた。一例として小さい魚を逃がすことなどが挙げられるが、さらにその考え方が顕著に表れた場面に私は3日目のイノシシ狩りのときに遭遇することができた。
未だ一体もイノシシがかかっていないとき義雄さんチームの私たちは小さいイノシシが罠にかかっているのに遭遇した。そのイノシシは食べるに値しない小さなサイズだったので逃がしてしまったのだが、もし私が義雄さんの立場だったとしても自然界のおきてにのっとって小さいイノシシを逃がせる気がしない。というのも、よこしまな考えにはなるが、観光というビジネスにおいてはイノシシを殺すほうが見逃すよりもよっぽどインパクトがあるからである。そんな中迷わず逃がすという判断を下した義雄さんは (彼にとっては当たり前のことかもしれないが)すごいと思うと同時に完全に西表島の自然という『つながり』を形成する一員となっていると感じた。そしてこの行動に至るまでの考え方が西表島の自然を守ってきたのだろうと思った。

内山 正樹 (9期)