ホーム活動報告・会報記事学園だよりアラムナイ93号「学園通信」より

学園だよりアラムナイ93号「学園通信」より

1.飯舘村研修旅行

8月上旬、中3・高1・高2の25名が福島県相馬郡飯舘村で活動しました。
5(月) 昼過ぎ福島駅集合、浪江町をバスで巡る。夜、宿舎で村民5名と対話。
6(火) 午前:学童・こども園での交流活動、飯舘中生徒との交流。午後:飯舘中生と栄光生の「飯舘村義務教育学校の未来」に向けた意見交換(第1部)。

※ 飯舘村は、村内にある3つの小学校と飯舘村中学校を統合し、2020年度4月から小中一貫の義務教育学校の開校を目指しています。今回、これを踏まえて、5つのグループに分け、飯舘中生と栄光生で「どんな学校がいいか?」を話し合いました。

7(水) 午前:学童・こども園での交流活動。午後:同上意見交換(第2部)
8(木) 午前中:意見交換内容の発表。小中の教職員や村長、教育委員会の方がお忙しい中、時間をとって、発表をみてくださいました。

今回は初めて、学童やこども園で交流活動を行いました。学童では小学生と遊んだり学習支援をしたりし、こども園では園児に紙芝居を読んだり、プール遊びの支援などをしましたが、どちらも栄光生は大活躍でした。
飯舘中生との「義務教育学校の未来」に向けた意見交換では、「楽しい未来」をイメージしながら行われるはずでしたが、栄光生が聞いた飯舘中生の声は、意見交換の方向を大きく変更するものになりました。今回の研修旅行で、栄光生は深く考えさせられたのではないかと思います。また、来年度以降の飯舘村研修旅行についても、大きな課題を突きつけられた気がします。

学童・こども園での交流活動

以下に高2 N君の感想を紹介します。

今回、私は飯舘村研修に参加させてもらった。被災地に行くのは初めてだったので、あの震災から8年が経っているとは言え大きな衝撃を受けた。
1日目は浪江町などを回り、村の人の話を聞くことが出来たが、飯舘村を含めた被災地の現状は非常に厳しいと感じた。震災後、全国各地に避難した住民は避難指示の解除後もなかなか帰ってこず、戻ってくるのは高齢者ばかりで過疎化と高齢化が深刻になっている。行政もこれと言った対応策を見つけられず、箱物行政に頼っているように見受けられる。私自身この街が10年後、20年後どのような街になるのかイメージすることは全く出来なかった。過疎化や高齢化が進む現状は被災地に限ったことではなく、日本の地方の未来の縮図であるとも考えることが出来る。復興の方法について被災地のみならず全国で自分事と捉え、考えていく必要があると感じた。
2日目以降は飯舘村の子供達との交流がメインだった。意見交換は当たり前のことをあげそこから改善を考えようと言う議論で始まったが、彼らが強く言っていたのは当たり前を変えたいのではなく、当たり前、普通の学校になりたいということだった。毎日のようにメディアが訪れ、栄光との研修のようなものは大小合わせると年100回弱、1学年の生徒数は二桁に達するかどうかの規模である。交流じゃなくて授業を受けたい、メディアなしでリラックスした学校生活を送りたい、クラス替えをしてみたい、自主的な活動をしてみたい、そんな彼らの願いを聞かされ、身につまされる思いだった。今まで考えてもみなかった本音や、被災地の現状を知ることができ、今回の研修は大変貴重な経験になったと思う。
最後に、今回の研修でお世話になった方々、そして引率の先生方、本当にありがとうございました。

2.ボストンカレッジ “Ever To Excel”プログラム

昨年7月27日から8月4日まで、本校生徒30名(高1・高2)+清泉女子高等学校10名がアメリカのボストンカレッジ “Ever To Excel” プログラムに参加してきました。4年目となる今年のプログラムでは、日本、アメリカ、アイルランド、ベネズエラ、ジャマイカの高校生と現地大学生メンターが参加し、総勢200人以上が「自分」を見つめなおすきっかけを得ていました。(引率:葛西、ティエンポ、片居木)

Small Groupでの活動

3.第69回体育祭 実行委員の感想

実行委員長 U君

僕が体育祭にかかわるようになったのは、高一の時だった。前企画部門長のF先輩に実行委員をやらないかと誘われて、そのまま体育祭実行委員会に参加した。そこで、体育祭にむけて夏休みから実行委員が活動していることを知り、自分もその一員として活動していくなかで、その大変さを知った。
今年の春、体育祭に実行委員長として参加してみたいという思いで、実行委員長選挙に出馬し、当選できた。しかし、先生方から、「え?君が勝ったの?」「何があった?」などの反応!あの優しい高田先生から「U君!? えぇ~~~・・・」と言われてショックだった。
このような形で僕は実行委員長となったのだが、最初は仲の良かった他の部門長と、体育祭の方向性の違いで不仲になってしまったり、部門員のミスを過度に責めたり。実行委員長としての僕の行動は称賛されるものでなかったと思う。
そんな中、僕を支えてくれたのは実行委員をはじめ、ぼくの周囲の人々だった。僕のつまらないギャグに笑ってくれた実行委員や、僕が疲れている時にねぎらってくれた同輩、先輩、活動風景を盛り上げてくれた後輩に、何度救われたことか。
開会式での緊張しすぎたスピーチや、閉会式での、聞こえづらかった「勝手にシンドバッド」などの失敗があり、たまに実行委員長に出馬したことを後悔していた。それでも、委員長として活動した体育祭は楽しかったので、務められたことを本当に良かったと思っている。
最後に実行委員、応援団、そして、すべての体育祭にかかわってくれた生徒や教職員の皆様に感謝を申し上げたい。 ・・・「RAY」だけに・・・

4.中学1年(73期) 秋のキャンプ@富士緑の休暇村

K君

「どうすればみんなに楽しんでもらえるか?」僕たちキャンプ委員はこのことを考えて秋のキャンプの準備をしました。主にしおりを作る、夜の集いのレクを考える、バスレクを考えるという3つの事を行いました。
1番大変だったのは、夜のレクを考え、実行する事でした。僕たちが夜レクで行う事を決めるときに大事にしたのは、みんながどうすれば楽しんでくれるか?ということ。すぐに多数決で決めずに議論をするということです。僕たちは夜レクで謎解きをやりました。その準備の中で1番意見が分かれたのは、問題を自分たちで「オリジナルのものができるから」「達成感がある」という意見。一方、本のものを使いたい人は「難しい問題ができる」「短い時間で準備できる」という意見で分かれていました。
この問題についてキャンプ委員みんなで3〜4日議論した結果、残りの準備に使える時間を考え本の問題を少し変えて出すことになりました。このことが決まりの後、急いで準備した結果、キャンプ前日にやっと準備が終わりました。そして、本番は45分間で問題を解いてもらうはずでした。しかし、夕食の時間のズレやキャンプ委員がうまくみんなをまとめわからなかったことから25分しか時間が取れませんでした。
でも僕は今回の準備は決して無駄にはなっていないと思います。僕は今回何かを決め、みんなをまとめて実行することの難しさをとても感じました。今回の経験をこれから繋げていきたいと思います。

秋のキャンプ

八木 英樹 (9期)