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学園だより稲田順一先生(物理)を偲ぶ

稲田順一先生(物理)を偲ぶ 2022年8月28日逝去

年間物理を教えていただき、高校二年では担任もしていただきました。私が栄光学園に就職してからは、物理準備室の隣の席で、授業のこと、田浦時代の先生たちのエピソード、当時発売になったCDプレーヤーのこと、奈良のお寺のこと、などなど色々なお話をうかがいました。ご退職後にお会いしたときには「いま幼稚園の仕事をしているんだけど、『理事長先生の時間』というのがあって、先日はプリズムを持って行った。太陽の光から赤や青の光を分けてみせたら子供達が喜んでね…」とお話しされました。嬉しそうな笑顔が忘れられません。
葬儀でいただいた、ご長男明弘さん(25期)のご挨拶の文章がとても素敵でした。了解をいただいたので以下に掲載します。

飯野 習一 (19期 元栄光学園教員)

「生涯現役」この言葉は今を生きる人にとって、ある意味あこがれる言葉なのかもしれません。とはいえ、これを実現できるのは ほんの一握りなのではないかと思います。
父 稲田順一は、九十五歳で逝去する一ヶ月ほど前まで文字通り「現役」であり続けました。昭和二年に生まれ、戦争を体験し、その後栄光学園で物理の教鞭を四十年近く執りました。引退した後もいくつかの学校で教職に就き、母が亡くなった後は中学、高校の厳しい?教員から、かわいらしい園児たちの優しいおじいさんの先生に大転換をいたしました。確かに、園長をしていた時の父は私達兄弟に対しても随分まるくなったなあという印象を持ったことを思い出します。
園長職を退いた後も亡くなる二ヶ月前まで理事長として幼稚園と関わり、理事長を引退する時の理事会においても自ら議長を務めていた姿が昨日のことのように目に浮かんできます。
父は絶対に認知症にならないぞ!という強固な意思のもと、日々頭の鍛錬を怠ることはありませんでした。クラシック音楽の鑑賞、旅行、写真などいろいろな趣味がありましたが、父のそばにはいつも「ナンプレ」があり、亡くなる少し前の入院中も病床で「ナンプレ」をしていて、看護師さんたちを驚かせていたようです。
母を本当に大切にしていたということも心に深く刻まれています。父の口癖ともいえる「お母さんを大切にしなさい」これは稲田家の家訓ではないかと思います。残念ながら母は二十五年ほど前に亡くなってしまいましたので、父はある意味ずっと寂しい思いをしてきたのは間違いありません。その思いを抱えながらも父は最後まで教育に携わり続け、天寿を全ういたしました。もしかしたら母に「そろそろ こちらにいらっしゃい」と言われていたかもしれないと考えています。一番大切だった母にそう言われてしまい、こちらの世界に別れを告げることにしたのでしょう。息子として私は最後まで人生を真っ直ぐに歩みぬいた父を誇りに思ってやみません。力強い意志を継いで生きていきたいものです。

稲田 明弘 (25期 稲田先生ご子息)