沖喜先生の訃報に接し、謹んで哀悼の意を捧げるとともに、先生の残された足跡に改めて敬意を表し、寄稿させていただきます。
思い返すと、ご縁の始まりは26年前の1997年、四半世紀も前になります。沖喜先生が在職された最後の年に私たち51期生が入学し、中1で音楽の授業をしていただきました。先生の軽快で絶妙なトークは、音楽にあまり興味のない生徒でも自然と引き込まれ、笑いの絶えない授業でした。先生が第二の故郷のように慕われていたイタリアでの様々な思い出から始まり、自ずと音楽の話題へと導かれ、まさに沖喜先生でしか成し得ない話術と世界観であったように思います。
また、沖喜先生は、私たちの入学よりもはるか昔、1972年に栄光フィルハーモニーを立ち上げられ、長い年月をかけて素晴らしいオーケストラへ育て上げてこられました。私たちが入学したのは、まさに沖喜先生の音楽が集大成を迎えた年であり、1998年4月に鎌倉芸術館で先生の最後の演奏会が行われました。ベートーヴェンのミサ曲ハ長調(作品86)では、ハ長調の無垢な和音が優しく響き、その美しい音色は今でも耳から離れません。先生が栄光フィルと歩まれてこられた時間の貴さを感じ、大きく心を動かされた瞬間でした。
私自身は先生の在職中に栄光フィルへ参加することは叶いませんでしたが、すでに非常勤講師となれていた先生が学校へお見えになる日に、先生を捕まえてはよもやま話に花を咲かせ、すっかり先生の大ファンとなってしまいました。
そこからのご縁で先生のご退職後も鎌倉のご自宅によくお招きいただきました。その帰りには、私の横浜の自宅までお車で送ってくださり、道中にレストランでご馳走をしてくださったりしました。また、先生のご自宅から由比ヶ浜まで散歩をしながら、学校であった出来事をお話しすることなどもありました。
栄光フィルは、沖喜先生のご退職後、吉田秀文先生、飯野習一先生、望月伸一郎先生、伊藤直樹先生、読響の田村先生、N響の建部先生による強力なご指導のもと、新たな歴史を歩み始め、私もヴァイオリンで参加させていただくことになりました。その後、私が栄光フィルやブラスバンドで指揮をさせていただくこととなり、それを沖喜先生へお伝えすると、指揮や音楽理論、スコアの読み方など幅広くご指導いただきました。
ある年の作文コンクールで、先生とのそのような交流を綴ったところ、思いがけず優秀賞をいただき、結果としてその内容が多くの方々の目に触れることになってしまいました。一学年後輩の内藤晃さんが私の作文に興味を示され、彼と沖喜先生のご自宅にお邪魔したことがありました。内藤さんが2017年の70周年コンサートでオーケストラの指揮をされた際(私はヴィオラで参加)、そのエピソードを同窓会会報の記事に書かれ、今回、それが同窓会の皆様の目に留まり私に声をかけていただいたというわけです。
「自ら渦を生み、他人を巻き込む人になりなさい」と、お話をされていた先生の言葉がふと頭に蘇ります。栄光フィルでは、沖喜先生のお人柄に魅せられ、多くの生徒、父兄、OBが先生のもとに集いました。内藤さんや私だけではなく、先生を慕い、教員・生徒という関係性を超えて交流を重ねた卒業生は他にも多かったと聞きます。まさにその言葉は、先生の生き様そのものであったように思います。今の私たちの感覚からすればやや強烈な言葉にも聞こえますが、ご自身の強い輝きによって、多くの人々を照らし、私たちを導いてくださったのだと思います。
生前のご指導に心から感謝を申し上げ、追悼の辞とさせていただきます。
高橋 広行 (51期)