歴史・文学散歩戸塚の大山道を歩く

実施日:2021年5月25日(火)

市営地下鉄ブルーライン踊場駅に、OB18名(3~21期)及び三原先輩夫人総勢19名が参集した。
前日まで毎日雨が降り開催が危ぶまれたが、週間天気予報どおり朝から晴れ最高気温30℃の予報。折から『コロナまん延防止宣言』が発令されており、コロナ対策を念入りに整えた上で出発しました。

本日は戸塚の大山道即ち【柏尾通り大山道】の一部、国道1号線・横浜新道に沿った上矢部町、矢部町、姥子町および泉区岡津町を巡り、ゴールの下岡津バス停まで約7km、5時間のコースを歩きます。
【柏尾通り大山道】は、江戸中期に人気のあった大山詣でに利用された街道の一つ。旧東海道を不動坂(戸塚区柏尾町)で分岐し泉区を縦断、長後、用田を抜け、相模川を越えて【田村通り大山道】に合流する街道を言います。始点には大山詣での人々の安全と無事を祈願し、『追分不動尊』を祀った不動堂が建立されました。また柏尾の住人も古来より雨乞いを祈願するため、大山に参拝するのが恒例でした。大山は別名あふり山・雨降り山と呼ばれ、さいし。『従是大山道』と刻まれた道標1872年(明治5)建立は一抱えもあり非常に特徴的で存在感があります。

踊場駅付近一帯は、長後街道が開通する1914年(大正3)以前曲がりくねった急坂道で、階段の踊り場のようであったといいます。又『踊り場の碑』に記されている由来記(伝説)には、【古狸が、夜な夜な集まり踊ったので生じた。】とあります。横浜市に区制が施行され1927年(昭和2)、鎌倉郡の一部を編入して戸塚区が誕生したのは1939年(昭和14)です。戸塚区は1969年(昭和44)再編され、瀬谷区が誕生、さらに1986年(昭和61)泉区と栄区が新設されました。

昭和20年代半ば私達横浜市立小学校生徒は、社会科授業で【横浜市域10区】を習いました。戸塚区は区域面積が頭抜けて大きい割に人口密度が少なく(一桁/km2)、他区の概ね1/3~1/2であった。「あんな広い所に、人ではなく狸・狐がいっぱい居るのかも?」とみんな真顔で思ったものです。実際にはもっと大型の動物、日本鹿が生息していたようです。
谷矢部(やとやべ)池公園で恒例のキックオフ集会がありました。常連の先輩・後輩の顔が見えます。皆さん変わらずお元気なご様子に見えました。
小生は5年振りの「リベンジ参加」です。前回最後に参加した【茅ヶ崎から平塚宿を歩く】で、両下肢に“こむら返り”を起こし歩行困難になり、馬入川護岸でギブアップした苦い経験があります。

谷矢部池のカエルは、戦後食用蛙として米国へ輸出された時代もあると聞き、「へぇ、そんな?」と思いました。戦後日本では食糧不足を補うため、米国よりザリガニを輸入したと聞いていました。蛙とザリガニを比べると、蛙の方が美味しくまた食べられる身が多い。田んぼに放したら害虫を退治してくれます。一方ザリガニはハサミは大きいが身は小さく、食べてみた経験から言えば、味が無く、食料難の時代でもとても食べられた代物ではなかった。稲の根元を刈る害虫として、後々駆除するのに手間暇がかかりました。
米国では、ザリガニを食べていたのでしょうか?ロブスターの代用品にはなるまい。米国による一種日本虐めではなかったか?

来迎(らいごう)寺~街山(つじやま)八幡社~霊水池~雲林寺~旧ウィトリッヒ邸~富士橋と歩き、【鯉ケ淵緑地】で昼休憩(40分)となりました。
予想最高気温30℃の炎天下、汗をかき歩き疲れた高齢者

集団にとって恵みの「藤棚日蔭ベンチ」があり、手入れされた阿久和川が涼感を与えてくれました。それにしても暑かった!まだ5月だというのに、この暑さは異常です。

午前中訪れた来迎寺(浄土宗)、街山八幡社、雲林寺(曹洞宗)、松尾神社、篠塚八幡神社、日月社・姥子社、普光寺(高野山真言宗)どの神社、仏閣、道標、石塔、庚申塚も興味が尽きません。街山八幡社の山門をくぐると石段があり、右手に『本覚院不動尊堂』がある。石段(45段)を登ると本堂。新田義貞の嫡子義宗が護持していた八幡大菩薩の神像が、最初に奉祀された場所だと伝えられています。本堂前を抜けて先に進むと、緩やかな下り坂になる。下り切った左側に道標を兼ねた猿田彦大神の庚申塔(1872年明治5)がある。右側面に「東方柏尾道」とある。
変則的な狭い四つ辻で、右左折の車は後から来た車がバックするなりUターンしたりして、先行車をやり過ごした後進むようになっています。通りかかった右折ドライバーに聞いてみました。「坂を下って先へ進むと、東戸塚駅方面に出る」とのことでした。

戸塚区のこの辺り即ち横浜新道(昔はワンマン道路と呼んだ。)を挟んだ地域には、数多の神社、仏閣、石塔、石碑が点在する。北西の外れとはいえ、鎌倉郡の一部だからに違いない。
この緑地は【鯉が淵】といい、阿久和川に名瀬川が合流して「澱み」即ち「淵」を形成する場所で、大きな鯉が群れていました。また神奈川県河川局が管理する『監視親水拠点』であり、氾濫の危険予知サイレンが3段階で鳴動する場所という看板表示がありました。向こう岸は高層マンション群で、阿久和川が永谷川と合流し柏尾川と名を変える横浜新道上矢部インター付近、バス停【富士橋】から三ツ境方面バス停【上矢部】周辺で交通の至便さが理由でしょう。

午後の最初は、松尾神社です。
正福寺(臨済宗)、大善寺(浄土宗)、午後廻った福泉寺(古儀真言宗)

5月大山道を歩く