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歴史・文学散歩軍港支えた田浦、長浦、深浦の今を訪ねる

2024年9月19日(木)
歴史散歩「軍港支えた田浦、長浦、深浦の今を訪ねる」に参加して

いつもAlumniに紹介されていて興味をもっていた歴史散歩に初めて参加した。10年前の同期会で訪ねた田浦旧校舎のその後を見たかったからである。懐かしの京急田浦駅集合は10時。先導の大島先生(14期)より簡単な行程説明があり、資料として三春さん(6期)が生前準備されたものと当時田浦に住んでいた残間さん(12期)手作りの旧海軍施設関連資料を頂戴して歩き始める。駅正面の船越小の石垣に沿ってなじみの路地を進み、東芝工場の手前で参加者が自己紹介を行う。

船越小から東芝前に通じる懐かしい道路

3期から45期までの卒業生に加え同窓会事務局の吉田さんと卒業生夫人の紅二点、総勢30名の大所帯だ。普通なら左に向かうのだが、一旦右に進んで、JR田浦駅からの通学者にはなじみの船越トンネルの手前から田浦中学の下に通じる新道を歩いていくと長浦湾の岸にある旧校舎跡が一望できる。奥の旧中学校舎の辺りはあまり変わらないように見えたが、新しい建物がずいぶん増えたようだ。

長浦湾対岸から旧校舎を臨む

正門の左高台には10年前にはなかった巨大なビルがそびえているが、ここは現在80隻を擁する4護衛艦隊(横須賀・佐世保・舞鶴・呉)に加え、航空群・潜水艦隊・掃海隊他を統括する自衛艦隊司令部だから規模が大きいのは当たり前だ。栄光は13期が高3の夏にここ田浦から大船に移転したので、18期まではこの校舎に通ったはずだが、もうすぐ新一年生が80期になることを思えば、私を含めこの世代はもう皆化石といっていいだろう。司令部正門前で記念写真を撮った。

自衛艦隊司令部の正門前。先生方の宿舎だったグリーンハウス辺りか

ここから坂を上って横須賀市内初の民間トンネルという梅田隧道に進む。

横須賀で初の民間トンネル、梅田隧道

さらに進むとほどなく休憩予定の時宗遊行寺の末寺「能永寺」に着く。9月はまだ暑い。3名参加された3期の一人が体調を崩してリタイアとなった(補助者が駅まで送り何とか解決)。更に、先導の大島先生までもが突然ダウンして暫時休養することになった。もう昼時に近かったので、付添いを残して主隊は近くの京急ストアで食料を買い、隣の深浦ボートパークで食事をすることになった。ちょうど雲が晴れてあたりの芝生や深浦湾の海の碧が明るく映えてきた。皆三々五々樹木の下や公園のベンチでのんびりと昼食を食べ、談笑して憩いのひと時を過ごした。

深浦ポートパーク[マリーンスポーツ財団HPより]

大島先生が回復されて本隊に追いつく。12時30分、大島先生に代わり原口さん(12期)が先導となって再び行動を開始した。20分ほど歩いて正禅寺で小休憩したが、勘違いした一名が先に到着して心配しながら30分本隊を待つという一幕もあった。
さらに歩くとほどなく日産の追浜工場にぶつかるが、そこを右折してしばらくすると貝山緑地に到着する。入口の看板によればこの貝山台地には大戦中に掘られた地下掩体壕が6つ以上あるとのことだが、道沿いには後に霞ケ浦に移った豫科練誕生之碑や海軍甲種飛行予科練習生鎮魂之碑なども建っていて、横須賀は海軍と本当に縁が深い町であることを改めて感じた。息をはずませ登り切った頂上にはしゃれたデザインの展望台があり、ここからは麓の浄化センターの大きなビル越しに東京湾の雄大な景色を楽しむことができた。

予科練鎮魂之碑の前にて

東京湾を一望できる貝山緑地展望台

(ここで12期12名は時間がなくなり、展望台からもとの入口に戻った所で本隊と別れて追浜駅近くで開催される懇親会に向かった。従って以下の記録は伝聞である。)

一行はこの後海寄りに少し進んで第3海堡遺構を見学した。第3海堡は東京湾を守るため大正期に難工事の末完成した人工島砲台だが、関東大震災で崩壊したままとなっていて海上交通を妨げるので、2000年から撤去が始まり、引き揚げたその一部が遺構としてここ夏島町に移転展示されているものである。一行は、さらに、貝山緑地からは眼下に見た浄化センター=アイクル(容器包装リサイクル法に対応し分別収集する国内最大のリサイクルセンター)を見学し、そこで解散となった。

第3海堡遺構

アイクル。背後に東京湾が広がる

私たち12期は第3海堡遺構とアイクルという興味ある建造物を見逃し残念ではあるが、ミニ同期会も楽しかったのでおあいこか。予期せぬハプニングはいくつかあったが、参加者一同無事予定コースを楽しく完歩しハッピーエンドだったことを報告して本稿を終える。

佐竹 信一(12期)