ホーム活動報告・会報記事歴史・文学散歩「宿場町から保養地となった大磯を歩く」に参加して

歴史・文学散歩「宿場町から保養地となった大磯を歩く」に参加して

以前個人的に吉田茂邸に行ったことはあるが、大磯をもっと知ろうと思いたち今回参加することにした。昨年11月の田浦散歩以来2回目だ。今日の仲間はリーダー大島先生、OB会事務局女性2名を含む3期から21期までの21名。大磯駅下車が初めての人もいたようだが、隣にコンビニが1軒あるだけの駅前はかなり地味だ。集合がみな早く10時前に旅程案内と自己紹介を終え、駅すぐのエリザベスサンダースホームに向かう。この日は本来閉園日なのだが幹事団の事前手配のおかげで見学が可能となり、栄光のフォス校長とご縁があったという宮崎道忠理事長から施設の詳しい説明と案内を受けた。

ここは三菱財閥岩崎弥太郎の孫娘澤田美喜さんが戦後混血の孤児を収容した施設で、延べ2000人の子供の面倒を見たという。その後聖ステパノ学園として小中学校も併設されている。彼女の死後その功績を記念してノアの箱舟を模した記念館が設立され、彼女の功績と隠れキリシタンの資料が展示されている。長崎や五島列島の観光でも見たことのない十字架やマリア像、踏み絵などの遺物はめずらしく、とくに表面は普通の仏像で裏面下部のふたを外すとキリストの磔刑像が刻まれている小像が印象に残った。

澤田美喜記念館

阿弥陀如来像―背面

かなり丁寧にここを見学してから、海岸の方角に向かい旧東海道(国道一号)を小田原方向に歩く。鎌倉でよく買う井上蒲鉾店はここが発祥という本店(はんぺんがおいしかった)、文豪島崎藤村の墓がある地福寺(墓石は質素)、同志社大の創立者・新島襄終焉の地の石碑(療養先が大磯だった)、日本三大俳諧道場の一つという鴫立庵(入場は出来ず)、今移転でもめている現大磯町役場、藤村旧宅(藤村晩年に2年過ごした平屋建ての小民家)などの歴史?名所に立寄りながら歩くこと1時間15分、ようやく名物の松並木の横にある最近完成・再公開したばかりの明治記念大磯庭園に到着した。ここには大隈重信や陸奥宗光の旧別邸がある。時刻もちょうど12時、屋敷の前のすてきな庭園で記念写真を撮り、その後園内で三々五々の自由昼食となった。

地福寺に並ぶ島崎藤村夫妻の墓

旧大隈重信別邸前にて

海を見ようと園内はずれの東屋に向かったが、西湘バイパスのせいで期待の景色は得られず、少し戻ったバラ園の横のベンチで仲間と軽食をとった。ここなら車の音は聞こえないし、赤・黄・ピンクのバラの花がきれいだ。大隈重信邸の中をのぞく。屋外同様、立派な造作の屋敷内はよく整備されていて、明治の元勲の悠々たる生活ぶりを偲ぶことができた。園内は広く見どころも諸所にあり、これが入場無料とはすばらしい。隣接地では伊藤博文邸や西園寺公望邸の再整備も進んでおり、全部が完成したらまた訪問しよう。

1時に再集合し30分ほど西に進むと最終目的地の吉田茂邸の標識が見えてきた。立派な兜門を入ってすぐ右に休憩所兼事務所があり、少しここで休む。吉田茂といえば戦後の日本を導いた大政治家だが、この屋敷は2009年に母屋が失火して焼失し、2016年に再建されたという。係の案内で金の間・銀の間・応接間・書斎などを見学したが、いずれも調度や照明具の趣味の良さに感心した。2階からは曇り空なのに雪が残る富士山も遠望できて大満足。

旧吉田茂邸と庭園

ここから帰りはバスで大磯駅に戻り解散となったが、落伍者もなく皆無事に完歩できたのはよかった。今まであまりなじみのなかった大磯だが、こんなに密に見るべきところがあるとは知らなかった。これからも興が乗ればこの会に参加してみようと思う。今回も12期が9名ほど参加したので、他の有志とともに近くのオープンカフェで拡大同期会を開催し、大いに盛り上がった。

オープンカフェにて懇親

佐竹 信一(12期)